本館収蔵品紹介

【斗彩葡萄紋杯・宮廷御用磁器】

中国・明

【斗彩葡萄紋杯・宮廷御用磁器】

〈大明成化1368年~1644年〉成化時代(1465‐87) 紙のように薄い胎の上に赤や緑、青で絵付を行った〈豆彩〉が生まれ,遺品は世界で数十点しかないといわれている。明代後期の嘉靖・万暦期(1522‐1619)に景徳鎮窯の生産は頂点を迎えました。この技法はまず、景徳鎮の白色胎土(きめが細かく純白に近い白色の土)で成形した素地の上に淡い細い線の青花で文様(花、小鳥、蝶々、鶏など)の縁取りをします。青花で文様の輪郭を描いた後、透明の釉薬をかけて高温(1300℃)で焼成します。 それから、青花の輪郭に沿って各種(赤、緑、紫、黄、青など)の上絵を丁寧に塗り分けます。色(彩釉)を塗って青花の輪郭を埋めます。 それからまた焼き付けます。今度は低温(800℃)で焼きます。 こうして青花の淡い発色と、上絵のカラフルで鮮明な色調のコラボレーションが美しい磁器を完成させる。豆彩が完成した成化時代にはまだその名称ではなく、一説によると「成化五彩」と呼ばれていたようです。斗彩と呼ばれるようになったのは、清の時代、雍正(1723-35)と乾隆(1735-1795)の間とされています。◇写真:中国 明/大明成化1368年~1644年【斗彩葡萄紋杯・宮廷御用磁器】成化是明朝时期第八位皇帝明宪宗朱见深的年号。起止时间为成化元年(1465年)至成化二十三年(1487年)共使用23年。明宪宗朱见深于天顺八年(1464年)登基, 次年(1465年)改元“成化”。(日本では室町時代、およそ600年前)

【黒象嵌花文 茶托付湯呑】

韓国 ・高麗

【黒象嵌花文 茶托付湯呑】

「高麗(こうらい)時代〔918~1392年〕」高麗時代になると、朝鮮半島で本格的に磁器が焼かれるようになり、青磁と白磁が焼かれました。磁器のなかでも青みがかった色の釉が使われる「青磁」を中心に進歩を遂げ、やがて「高麗青磁」と呼ばれるようになりました。この青磁はすでに高度な陶磁器焼成技術を保有していた朝鮮陶磁が、中国の浙江(せっこう)省北部に広がる五代越窯(えつよう)の影響によって始まったと考えられている。中国青磁の「秘色」と呼ばれていた青に対し、「翡色」と呼ばれる澄んだ青緑色の気品に満ちた、絶妙な青色の高麗青磁を完成させ、透かし彫りなどのさまざまな装飾が加えられるようになりました。朝鮮独特の技法である象嵌(ぞうがん)技法が発達し、高麗青磁の中心的な装飾技法となり、「陶磁器芸術の最高峰」とも言われています。象嵌とは素地に文様を彫り、その凹部に黒土と白土を埋め込んで文様を表すもので、 もともと金属の装飾技法でした。青磁象嵌が獲得した青い釉下の白黒文様の鮮明さと端麗さは、高麗青磁の声価を不動のものにしました。中でも、その美しく密やかな釉色を最大限に利用した精妙な刻文のある青磁は、最盛期の作として評価が高い。こうした高麗青磁の二大生産地として有名なのが、南西部に位置する康津(カンジン)と扶安(ブアン)です。また、線刻や彫刻などの装飾が行われた青磁も作られたほか、銅を含んだ顔料を用いることによって上品な紅色を発色する辰砂という技法や、釉下に鉄絵具で文様をあらわす青磁鉄絵も盛んに作られた。磁器らしい繊細さと華やかさ、滑らかな肌の風合いが特徴的で、朝鮮半島はもちろん中国でも「天下一」と呼ばれる名品が数多く作られた高麗青磁ですが、13世紀以降にモンゴル人の侵入が始まり、高麗青磁は高麗王朝の衰退と共にその姿を消し、実用的で大量生産にふさわしい、灰色を帯びて堅く焼きしまった姿へと変っていきました。◇写真:韓国 高麗/918年~1392年【黒象嵌花文 茶托付湯呑】高麗王朝、朝鲜半岛古代国家之一。紀元918年,王建が王に。935年に新羅と合併し、936年に後百済を滅し“三韩統一”を実現した。高麗は今の朝鲜が都に!国土範囲は今の朝鲜半岛中南部相当。(日本では平安~室町時代,およそ1100年前)  

【明洪武・釉里红花卉纹大罐】

中国 明・洪武

【明洪武・釉里红花卉纹大罐】

〈1369〜1402年〉「釉裏紅」元代には顔料にコバルトを用いた青花のほか、銅を用いて赤く発色させた釉裏紅(ゆうりこう)も作られました。しかし、銅は気化する温度が低く、窯の中の温度が高くなり過ぎればすぐに蒸発してしまいますし、逆に低すぎれば、黒っぽくなってしまいます。また、焼成中に供給する酸素量も大変重要で、酸素を与えない還元焼成なら「赤色」に、酸素を与える酸化焼成なら「緑色」に発色します。銅を顔料に用い、焼き物を綺麗な紅色に発色させる事は大変困難な事で、元時代の釉裏紅はややくすんだ赤に発色したものが多い。西アジアとの交流が栄えた元の時代、青色に発色する「コバルト」が安価で大量に持ち込まれ「青花磁器」が盛隆を極めます。しかし、元王朝の滅亡と共に良質のコバルトの流通量が減り、仕方なくどす黒い発色の「国産コバルト」が使われました。その汚い発色に満足できなかった明初期洪武帝官窯において、試行錯誤の末に紅色の綺麗な焼き物が誕生しました。◇写真:中国 明・洪武/1369〜1402年【明洪武・釉里红花卉纹大罐】(日本では安土桃山時代、およそ650年前)

【黄釉双龙戏珠纹素三彩大盘】 (康熙官窯)

中国・大清

【黄釉双龙戏珠纹素三彩大盘】 (康熙官窯)

〈1616年~1912年〉皇帝専用の文様  「五爪の龍」中国の明から清時代までにおいて中国では龍の爪の数に対する明確な決まりが存在しました。 明の初代皇帝は元の規則(五爪二角の龍文が皇帝専用の文様として規定。五本の爪をもち、頭に二本の角をはやした龍が権力のシンボルとして定めた。)を踏襲し、皇帝の象徴である龍は5つの足の指(または爪)。帝国の慣習としての貴族や高級官吏へ向けられた龍は4つの爪を持つと定め、3つ爪の龍は下級官吏や一般大衆に愛用された。(様々な明朝の唐物で広く見られる)。皇帝を除いたいかなる人物でも、完全に金色な5つ爪の龍を利用するのは死罪であった。適切な爪の数や色を利用しなかった場合、罪人の一族もろとも処刑するに値する反逆罪とされた。こうした規制にも関わらず、龍文は一般庶民にも人気がありました。明末清初には密かに焼かれた民間窯製の5つ爪龍文が出回っており、乾隆帝は龍文の独占を諦める詔を出しました。 「素三彩」素三彩は、釉薬(ゆうやく)をかけずに素焼(すや)きした白磁の素地(これをビスケット地と通称する)に、直接低火度の色釉を用いて文様をあらわす技法である。深みのある色調とやわらかい描線に特徴がある。赤色釉を除いて、緑・黄・紫などの色で、絵や文様を描いたもの。怪獣が最も珍重され、大物がこれに次ぎ、花鳥は普通だがこれもまた価値は高い。素三彩の大瓶は欧米で愛好され、黒地のものをブラック・ホーソン、緑地のものをグリーン・ホーソンと称する(ホーソンはサンザシの意)。中国、明代後期に始まり、清代に盛行した陶磁器。中国清代の康熙年間(1662-1722)に多く産出された。◇写真:中国・大清/1616年~1912年【黄釉双龙戏珠纹素三彩大盘】 (康熙官窯)1662年5月4日(康熙元年~1722年12月20日康熙61年)(日本では江戸時代、およそ400年前)

【斑唐津徳利】

日本・桃山時代

【斑唐津徳利】

〈1573年~1603年〉「斑唐津」斑唐津は室町時代後期、1580年前後から1590年前半に佐賀県唐津市北波多稗田で焼かれていたやきものです。1594年以降一時途絶えましたが、昭和初期の唐津焼復興と共に再びその姿を見せるようになりました。唐津焼の一種で白濁した藁灰釉(わらばいゆう)を用い、藁灰釉の表面が斑状になることから斑唐津と呼ばれており、色は白からグレーがかったものまで幅広いのですが、全体的に不透明な白いやわらかい肌を作り出します。青や黒の斑点は粘土に含まれている鉄分や燃料の松灰が器の肌に溶け出している為であり、藁灰の斑文の中でアクセントになっています。味わい深く温かい肌味が魅力で、昔から高い評判を得ている酒器をはじめ皿や碗、茶入などによく使われています。◇写真:日本・桃山時代/1573年~1603年 【斑唐津徳利】(およそ440年前) 

【青花五彩花果寿桃纹梅瓶】(乾隆)

中国・大清

【青花五彩花果寿桃纹梅瓶】(乾隆)

〈1736年〜1796年〉「五匹の蝙蝠(こうもり)」 〔五福〕 ・長寿 ・富裕 ・健康 ・繁栄 ・子孫 人生の五つの幸せを願う吉祥文様 文様化され実に美しく書かれています。一見コウモリに見えないですが、よくよく見ると左右に翼を広げ丸い目をしたコウモリです。◇写真:中国・大清/1736年〜1796年【青花五彩花果寿桃纹梅瓶】(乾隆)(日本では江戸時代後期、およそ300年前)

【志野香合】

日本・江戸初期

【志野香合】

〈1603年~1868年〉「志野焼」志野焼(しのやき)は、美濃焼の一種で、室町時代の茶人・志野宗信が美濃(岐阜県)の陶工に命じて作らせたのが始まりとされ、安土桃山時代に焼かれた白釉を使った焼物。赤志野や鼠志野などいくつかの種類があり、同じく美濃焼の一種である瀬戸黒とともに重要無形文化財に指定されている技法や、岐阜県の重要無形文化財に指定されている技法があります。美濃焼きの土は、可児市久々利から土岐市泉町久尻にかけて産出される白土が使用されています。耐火温度が高く焼き締りが少ない五斗蒔粘土、もぐさ土という、鉄分が少なく、紫色やピンク色がかった白土が使われており、その白土を使用した素地に、志野釉と言う長石を砕き精製した白釉を厚めにかけて焼かれます。釉薬がかかった部分はぽってりとした厚みがあり、きめの細かい貫入や、味わい深い柚肌、優しい乳白色をしており、釉薬のかかりが少ない縁の部分などは赤みのある火色が見え、 白磁や青磁のような美しさを持ちながら、優しい温かさを持っていることが特徴です。さらに、これまで円形の茶碗が常だったものに歪みを作り変形させたことも当時は非常に新しい製法でした。◇写真: 日本・江戸初期/1603年~1868年【志野香合】 (およそ400年前)

【不動明王】

モンゴル帝国・元

【不動明王】

〈1202年~1368年〉不動明王は、元々はインド神話の三大神の一人であるシヴァ神の別名とされ、その梵名はアチャラナータと言います。その意味は「動かない(不動)守護神」です。日本へは空海によって持ち込まれ、密教の最高位である大日如来の化身とも言われています。不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る、片側中央の刃だけが一際長い三鈷杵)と羂索(けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの。一方の端には環、他方の端には独鈷杵の半分が付く)を持つのを基本としている。剣は竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。不動明王像の中には背中に火を背負っている物もあります。煩悩を焼き払う為の洗浄にして神聖な炎です。迦楼羅(かるら)炎と言い、鳥の頭部を持った神、迦楼羅(インド名ガルーダ)の吐き出す炎だそうです。煩悩や迷い、仏敵などを焼き払う為の物。一般的な仏教でのご本尊や仏像は優しい姿をしたものが多いですが、不動明王は悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしているとされていますが、迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる慈悲深い仏です。◇写真:モンゴル帝国・元/1202年~1368年 【不動明王】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)

【双鱼纹香盒】(万歴官窯)

中国・明

【双鱼纹香盒】(万歴官窯)

〈1573年~1620年七月〉最も尊い色 「黄色」 中国において徳の高い色といえば黄色。これは皇帝しか使うことが許されていない色でした。「土=黄=中」、大地のシンボルカラーは黄色、中央を示すというところから国土の中心で統治する人が身につけるべき色が黄色となり、皇帝が使う色になりました。◇写真: 中国・明/1573年~1620年七月【双鱼纹香盒】(万歴官窯) 明神宗朱翊钧年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ540年前)

【龙鳳纹五彩大盘】(万歴官窯)

中国・明

【龙鳳纹五彩大盘】(万歴官窯)

〈1573年~1620年七月〉「五彩」五彩とは、白磁または白釉陶(はくゆうとう)に赤・青・黄・緑・紫などの釉(うわぐすり)で絵や文様を表したもの。素地に透明釉を掛けて高火度焼成した後、釉上に上絵具で図柄を描き、錦窯(きんがま)という小型の窯で再び低火度焼成した上絵付け、およびその陶磁器。1つの器に五彩と青花を併用する場合もあります。この技法は釉上着彩画法と言い、釉薬では色を付けず、絵具でなければいけません。五彩と呼ばれますが、五色のみを使っているわけではなく、単に同じ技法で焼かれているものであれば、二色でも六色でも五彩と呼びます。始まりについては、発掘調査などで元時代から生産された説が有力ですが、正確なところは現在もわかっておらず、調査が続けられています。五彩は近代に入り、多くの色彩が彩色され、色合いが鮮やかになりました。その美しさを競い合い、闘争している様子から、闘彩と呼ばれることもあります。嘉靖年間(1522~1566年)は五彩磁器の全盛期であり、色どりの様々な製品が作り出されていきました。官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたもののほか、色地に色文様を加えた雑彩と呼ぶ濃麗五彩磁も作られました。日本では赤絵・錦手(にしきで)などと言います。硬彩。◇写真:中国・明/1573年~1620年七月【龙鳳纹五彩大盘】(万歴官窯)明神宗朱翊钧的年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ440年前)

【青花紋大碗・宮廷御用磁器】

モンゴル帝国・元

【青花紋大碗・宮廷御用磁器】

〈1206年~1635年〉「モンゴル帝国 元 青花」モンゴル人クビライの征服した帝国は北京を都とし、支配圏はユーラシア大陸全土に広がりました。モンゴル民族による交易、市場の確立は中国の陶磁器の名声を広めることになります。特にイスラム商人による陸路での行商が活発になり、福建の泉州、福州の港からの海上貿易も行われました。元王朝が領土を拡大し、イスラム圏から藍色に発色する良質のコバルトを手に入れた事により、青花(せいか)いう陶磁史上に残る画期的な発明がされました。生産が盛んになり、輸出磁器として、イスラム圏などの外国で競って求められるようになりました。青花は「青い文様」の意で、英語では「ブルー・アンド・ホワイト」、日本語では「染付」と称される。青花は釉下彩の一種であり、成形した器をいったん素焼きしてから、酸化コバルトを含む顔料で器面に絵や文様を描く。その上から透明釉を掛けて高火度で還元焼成すると、顔料は青色に発色する。西アジアから輸入されたコバルト顔料が使用されたことが分析結果から判明しており、この顔料を中国では「回青」または「回回青」(「イスラム圏の青」の意)。釉下彩の技法は、すでに唐時代の長沙窯に先例があるが、宋時代には中国陶磁の主要な技法とはなっていなかった。釉下彩磁が盛んになるのは元時代の景徳鎮窯からである景徳鎮窯は青花の技法を駆使して斬新な造形と意匠を残し、後代まで受け継がれています。元代磁器の特色の一つは大作が多いことで、径40センチを超える大盤(大皿)をしばしば見る。こうした大作主義は、輸出先である西アジアの需要に応じたものと考えられる。西アジアのイスラム圏では、円卓を大勢で囲み、大皿に盛った料理を各自が取り分けて食べる習慣があった。文様は伝統的な龍、鳳凰などのほか、人物図、牡丹唐草などの親しみやすいものが多く、大きな器面を目一杯使用して、あまり余白を残さずに文様を描き詰めたものが多い。主文様の上下や周囲に蓮弁文、如意頭文、波濤文などの従文様帯を配した構成には、西アジア美術の影響が看取される。人物文には当時の雑劇である「元曲」の場面を描かれているものが多い。◇写真:モンゴル帝国・元/1206年~1635年【青花紋大碗・宮廷御用磁器】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)

【青花釉里红九桃纹天球瓶】(雍正早期官窯)

中国・大清

【青花釉里红九桃纹天球瓶】(雍正早期官窯)

〈1722年〜1735年〉「桃・延命長寿」雍正在位13年,即公元1723年至1735年。中国では百葉、孫悟空などにも登場する不老長寿の果実とされています。中国安徽省の黄山の伝説によると皇帝が山中で不老不死の祈りをささげ、その山に仙桃峯という峯ができ、「黄山に登る者は必ず線道峰に立つことになる」といわれるほど有名になったそうです。◇写真: 中国・大清/1722年〜1735年【青花釉里红九桃纹天球瓶】(雍正早期官窯)(日本では江戸時代後期、およそ300年前)

【 古伊万里 赤玉龍 碗】

日本・江戸中期

【 古伊万里 赤玉龍 碗】

〈1603年~1867年〉「古伊万里」江戸時代に肥前(佐賀・長崎県)で焼かれた磁器が伊万里焼(古伊万里)です。江戸時代初めの1610年代ごろから江戸時代終わりごろ(明治期を含むことがあります)までつくられました。佐賀県の有田や塩田、長崎県の波佐見、三川内などで、主につくられ,塩田の製品は志田焼、三川内の製品は平戸焼ともいいます。この周辺で焼かれた磁器は、 近くにある港、伊万里港から出荷されたため伊万里焼と呼ばれます。伊万里焼と古伊万里の大きな違いは、作品そのものの持つ骨董的価値の有無であります。江戸時代に有田(佐賀県有田町)で焼成された歴史的、骨董的価値のある作品を古伊万里と呼び、明治以降に現在の佐賀県伊万里市で焼成された陶磁器のことを伊万里焼と呼びます。明治初期に焼き物を産地名で呼ぶようになり、現在の伊万里焼と呼ばれる陶磁器が誕生することとなりました。古伊万里は中国の王朝である明から清への時代変革時に発生した、欧州での中国磁器の断絶に代わる最良の品として欧州へと輸出されることとなりました。古伊万里はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、今でもオールドイマリ(Old Imari)として世界中に熱烈なコレクターが存在します。◇写真:日本・江戸中期/1603年~1867年【 古伊万里 赤玉龍 碗】(およそ400年前)

【唐三彩龍耳尊・宮廷御用陶磁器】

中国・唐

【唐三彩龍耳尊・宮廷御用陶磁器】

〈紀元後619年~907年〉「唐三彩」王侯貴族の墳墓を華やかに装飾した明器(憤墓の副葬品) 「唐三彩」唐三彩とは盛唐時代に長安や洛陽近傍の窯で焼成された三彩陶器。陶器のなかでも価値が非常に高いとされ、世界に広まっています。唐時代の陶器で、金属を顔料に、酸化の炎色反応を用いて彩色されます。基本的に三色の組み合わせが多いことから、三彩と呼ばれています。鉛や銅、鉄の釉薬を使い、色を表現しており、緑・黄色(茶色)の二色が美しく発色し、土の色の白が合わさった三色、または藍色が加わって四色になった藍彩、クリーム色、紫などを使った色合いが魅力の芸術品です。形状は、人物、動物、器と大きく3つに分かれ、武将や貴婦人、馬やラクダ、壺やお皿などをかたどったものが多く発掘されています。原則としては明器で日常に使用される事は全くなく、主に王侯貴族の墓へ、埋葬するために作られました。最も古いとされているのが、674年唐の初代皇帝の墓から発掘された器です。現在中国では第一級国宝として、発掘されたものは、博物館で大切に保管されています。唐三彩は後の時代の陶磁器に影響を与え、シルクロードを通して、世界中の国々にも影響に与えました。(例えば:日本の奈良三彩)◇写真:中国・唐/紀元後619年~907年【唐三彩龍耳尊・宮廷御用陶磁器】(日本では飛鳥時代~奈良時代、およそ1400年前)

【海獣葡萄鏡・宮廷御用品】

中国・陏ー唐

【海獣葡萄鏡・宮廷御用品】

〈紀元後581年~907年〉「青銅鏡」 古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用された。古代エジプトにおいても用いた事例がある。円形が多く(まれに方鏡もある)、直径は数十㎝程度である。磨かれた鏡面の裏側には中心に鈕(つまみ)があり、その周囲にはさまざまな画像や文様が鋳出されている。祭祀・呪術用の道具として用いられたと考えている。◇写真:中国・陏ー唐 紀元後581年~907年【海獣葡萄鏡・宮廷御用品】(日本では飛鳥時代、およそ1440年前)

【芒口银边刻花盘】(定窯)

中国・宗

【芒口银边刻花盘】(定窯)

〈960年〜1279年〉宋代五大名窯 「定窯(ていよう)」定窯は河北省保定市曲陽県に位置する中国の著名な白磁窯であり、宋代には官窯となりました。宋代五大名窯の一つです。なかでも宋代から金代にかけては宮廷用器も数多く生産され、「牙白」と呼ばれる象牙のような白色(アイボリーホワイト)を特色とする優雅な定窯白磁は、皇帝はじめ士大夫などにも広く愛好されました。窯の周辺からは白磁に適した白土がとれました。今日のような純白の発色が可能になったのは、窯で燃やす薪が石炭に変わり、高温で短時間に焼き上げる技法が完成したからです。 白い素地にクリーム色がかった透明釉をかけたものと,型押しや浮彫など彫文を施して透明釉をかけたものとがあります。また金彩を施したものは,金花定窯として特に珍重される。 文様は型を用いる印花文(いんかもん)、ヘラ彫りによる刻花文(こっかもん)、浅く片切彫する劃花文(かっかもん)など種々様々だがいずれも軽快で淡い気品を醸し出している。注目するところはその薄さです。精選された生地で最も薄くできる鉢や椀に限定し、なるべく変形しないよう逆さに伏せて焼きました。その際接地する縁の部分が無釉となるため、銀や銅で覆った。これを覆輪(ふくりん)という。定窯は元の時代まで脈々と続いたが次第に丁寧な作りは姿を消したため、北宋時代の作が最も評価が高いとされます。しかし残念ながら現存数がきわめて少ないです。◇写真:中国・宗 960年〜1279年【芒口银边刻花盘】(定窯)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ900年前)

【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)

中国・明

【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)

〈1573年~1620年七月〉皇帝の権威の象徴 「龍」龍とは中国の伝説に出てくる中国人にとって最も神聖な霊獣のことです。殷(「商」とも呼ばれる、BC17世紀~BC1046年)の時代の甲骨文字にはすでに「龍」の文字がありました。流派さまざまな動物を一部分ずつ合体させた形になっています。(トーテムの統合)官窯では皇帝の印である龍と鳳凰の文様が圧倒的に多く使用されました。◇写真:中国・明 【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)1573年~1620年七月/ 明神宗朱翊钧的年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ440年前)

【二系三足香炉】(哥窑)

中国・宗

【二系三足香炉】(哥窑)

〈960年〜1279年〉「哥窯」哥窯の窯址は未詳である。白に近い色に発色し、器全面に貫入の入った一連の伝世品青磁を「伝世哥窯」と称している。しかし、哥窯の名は宋時代の文献には登場しない。また、「伝世哥窯」と同様の陶片は宋時代の墓や遺跡からは出土しておらず、これらの作品の正確な製作時期や製作地は未詳である。南宋時代,浙江省の竜泉窯に,章生一,章生二という2人の名工がおり,その兄の章生一が焼いた,貫入のある青磁であるといわれる。〈哥〉は兄の意味である。近年竜泉窯址が調査され,製陶の中心だった大窯付近で,南宋官窯(郊壇窯)の青磁に似た貫入のある青磁が焼かれていたことがわかった。しかし哥窯とよばれて伝世している青磁はかなり多様で,南宋官窯との判別も難しく,問題とされている。釉薬に無数のヒビ(貫入)が入っており、二重貫入で知られています。胎土と釉薬の膨張係数、収縮率の違いにより貫入を生じ、胎土の鉄分が浸み出した黒く太い貫入とやや細い貫入があるそうです。この細い貫入が黄色や赤みを帯びたものがあります。稀に金色に見えるものを「金糸鉄線」と呼び、珍重しています。偶然ではなく、意図的に作られたようです。また、胎土に鉄分があるため、釉薬の薄い部分が黒くなる。瓶の口、畳みつきがやや黒くなる。「紫口鉄足」と呼ばれています。追記 では何故こんなヒビだらけの陶磁器ができたかと言うと、こういう話が明時代の文献に残されています。南宋の初期、中国の龍泉県には章一と生二と言う二人の腕の立つ陶工がいました。 二人は実の兄弟でしたが、特に兄の章一の作る青磁の評判は高く、弟の生二はそれに嫉妬を感じていました。「兄の焼く青磁はどうしてあんなに素晴らしいのか?」疑問に思った弟の生二は、まだ完全に焼き終わっていない窯を開けて内部を覗き込みその秘訣を盗もうとします。しかし、窯を開けた事で一気に外気が流れ込み、温度変化に敏感な焼き物は本来焼き上げたかった姿とは全く違うヒビだらけの変わり果てた姿になりました。その失敗作を見つけた兄の章一はそのヒビに深い味わいがある事に気付き、それを再現します。そして兄の窯は更に人気となりました。弟の生二もその後修行を重ねたいそう綺麗な青磁を焼く「龍泉窯」という窯を創設し南宋から明時代にかけて国内国外に流通した膨大な量の青磁を焼いた「中国一の青磁窯」となるのです。◇写真:中国・宗 960年〜1279年【二系三足香炉】(哥窑)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ900年前)

【红斑纹碗】(钧窯)

モンゴル帝国・金ー元

【红斑纹碗】(钧窯)

〈1206年~1635年〉「鈞窯」中国、宋元時代の名窯。鈞州と呼ばれた河南省禹県を中心に,宋・元時代以降華北各地で焼造された。青みのある失透性白釉のかかった陶器の総称。青い釉薬は、日本では「澱青釉」、中国では「天青(てんせい)」と呼ばれている。釉薬に硅酸(けいさん)分が多く含まれる成分を加えることで白濁させる。さらにその上に、銅を主成分とする釉薬を施して、杯の内外面に紫紅色の斑文を作り出している。これらの釉薬は鈞窯に特徴的な技法である。澱青釉と紫紅斑の織りな定形で抽象的な文様は、まるで天体望遠鏡で覗いた星雲の様に幻想的である。作風によって宋鈞窯,元鈞窯などと区別されることがある。近年,禹県県城内の八卦洞に窯址が発見され,昔から非常に珍重されてきた紅紫釉のかかった上質の鈞窯植木鉢,水盤の類が,そこで製作されたことがわかった。器形には鉢,碗,皿,香炉,壺,瓶,植木鉢などがある。◇写真:モンゴル帝国・金〜元(钧窯)1206年~1635年【红斑纹碗】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)

【窑变釉双耳扁桃瓶】(乾隆官窯)

中国・大清

【窑变釉双耳扁桃瓶】(乾隆官窯)

〈1736年〜1796年〉「大清乾隆年製」女真族出身のヌルハチが1616年に満州で建国し、1644年から1912年までの中国大陸とモンゴルを支配した征服王朝・清(しん)。その期間は268年間で、時期や長さだけで見れば、日本の江戸時代(1603~1868年=265年)に似ている。そんな清の最盛期が、第6代・乾隆帝の時代だ。乾隆帝は12代にわたって続いた清の歴史のなかで60年もの長期政権を布き、生没年も1711~1799年と、数えで89歳の長寿に恵まれた。乾隆帝時代は1736年から1795年までの60年間にも及ぶ長期政権でした。乾隆帝は、清朝の歴代皇帝の中でも、とにかく異様なまでの芸術・骨董好きで特に有名です。清朝時代いや中国史の中で最も華やいだ時代と呼ばれ、各種文化や芸術が究極まで高められました。それまでの中国陶磁器史の全ての分野において、最高の焼き物が焼かれたと言って過言ではないでしょう。白磁、青磁、青花磁、五彩磁、粉彩磁、豆彩磁、とにかくありとあらゆる焼き物が最高の技術をもって焼かれています。そういう陶磁器全盛の乾隆帝期において、更に陶磁器に関して特筆すべき特色がいくつかあります。一つは、乾隆帝のひたむきな古陶磁器収集への情熱です。特に現在、宋代の神品と呼ばれ、故宮博物院などに収蔵されているような陶磁器には、乾隆帝がその権力に任せ収集したものが少なからず含まれています。乾隆帝は、その中でも特に気に入った古陶磁器の裏面などに、自らが作った題詩を掘り込んでいます。数多くの漢詩を作る詩人の素養もあり、中国の伝統的な文学を奨励しました。また、すでに300年前の清時代、当時最大の権力者であった皇帝ですら宋時代の一級陶磁器は収集困難でした。そんな宋磁への憧れから、乾隆帝期には宋の名窯の倣品(完璧にコピーした品)がたくさん製作されており、それはそれで大変高価なものとなっています。政治的にはそれまでの国庫を使い果たした乾隆帝でしたが、陶磁器的には逆に膨大な『財産』を現代に遺してくれたのが乾隆帝でした。乾隆年製とは「大清乾隆年製」と呼ばれ、乾隆帝が在世時に作られた陶磁器の裏に入れられた銘です。乾隆とは、清の第6代皇帝 高宗(弘暦)の在世時の元号で皇帝は元号+帝で呼ばれています。中国(清)の文化や芸術を愛していた乾隆帝は多くのコレクションを残していて、文化や芸術的にも発展を遂げた時代といえます。◇写真:中国・大清(乾隆官窯)1736年〜1796年【窑变釉双耳扁桃瓶】(日本では江戸時代後期、およそ300年前)

【オイノコエ】

古代メソポタミア

【オイノコエ】

〈紀元前6世紀末~5世紀初期〉核の表面にガラスをかたどり制作された。この技法はメソポタミアで発見された。紀元前6世紀末から5世紀初期の間に制作。その後、地中海全域に普及しました。この壺を制作するために、砂を混合した粘土に、藁、草葉、穀粒などの有機物を追加した核を作る。そして鉄製の竿にこの核を固定した後、紺色の融解し、細長く伸ばされたガラスを巻き付け作られた。香油壺や酒杯に用いられたと言われ、各国の王侯貴族に広まりました。◇写真:古代メソポタミア/紀元前6世紀末~5世紀初期【オイノコエ】(日本では縄文時代、およそ3000年前)

【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺    ・宮廷御用品】

中国・秦・漢 

【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺 ・宮廷御用品】

〈紀元前306年~紀元26年〉「中国青銅器(酒器)」当美術館では、たくさんの中国青銅器を展示しており、皆様に是非 青銅器の魅力について触れていただけたらと思います。 殷(商)の青銅器は獣面紋(饕餮(トウテツ)文)と呼ばれる模様と雷紋と呼ばれる模様が主に鋳造されています。殷(商)後期から西周前期には、模様が器の全面を覆い、しかも立体的な高浮き彫り状になっている器物が多く、全体が動物型になった器さえあります。殷周時代の青銅器は、鬼神を祭る道具として使われていました。盤にいれた水で手を清め、象や犀などの実際の動物を象った尊という器で酒を捧げ、鼎には犠牲の牛・羊・豚などの肉を入れてスープなどを煮込みました。それらの青銅器の表面には、羊などの実際の動物の他に饕餮(とうてつ)や龍、鳳など鬼神を守るために生み出された架空の動物の模様を鋳込んであります。周の時代では、さまざまな出来事を甲骨文字をもとにした文字で青銅器に彫り込んでおり、そのような文字が「金文」である。青銅は銅と錫の合金であるが、錫の含有割合は器によってさまざまである。銅、錫以外に鉛を比較的多く含むものと、鉛をほとんど含まないものがある。銅が酸化することで青緑色のサビ「緑青(ロクショウ)」が発生します。緑青は要するに「錆び(さび)」のことです。銅が空気中の硫黄と反応して、色が変化する。当美術館の青銅器は、汚れや緑青などをきれいに洗ってから展示してあります。当時(2,3千年前)の銅の色や質感を見て感じ取ることができるように時間をかけ、酢と塩を用いて磨き上げました。もちろん錆や古さをなくすことによって市場価値の評価は落ちるのですが、当美術館としては2,3千年前の銅の色や彫刻、古漢字を世の中の若者や多くの人々にその美しさを感じて頂ければ幸いです。是非 殷周時代の人々が使用していた美しい青銅器を御覧ください。◇写真: 中国・秦・漢 /紀元前306年~紀元26年【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺 ・宮廷御用品】(日本では弥生時代、およそ2000年前)

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名古屋東洋官窯陶磁美術館

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