本館収蔵品紹介

【(鈞窯)乾隆帝御題文詩紋 紅斑鈞窯碗・宮廷御用磁器】

中国・金朝

【(鈞窯)乾隆帝御題文詩紋 紅斑鈞窯碗・宮廷御用磁器】

「鈞窯 乾隆帝御題文詩紋 紅斑鈞窯碗・宮廷御用磁器」
鈞窯とは、中国・宋元時代の名窯である。当時の各窯が単色釉であったのに対し鈞窯では、「月白」「天青」と呼ばれオパールのような柔らかい輝きを見せる「澱青釉」という独特の青みを帯びた失透性釉薬と、紅系統で器全体もしくは斑紋で使用された「紫紅釉」という二種類の釉薬を使用していた。
また、乾隆帝とは清朝の第6代皇帝である。清朝の文化や芸術を愛していた乾隆帝は、多くのコレクションを故宮博物院に残しており、清朝の最盛期と称えられる乾隆帝の在世時は文化・芸術的にも発展を遂げた時代といえる。
こちらの美術品は、全体を彩る澱青釉と斑紋の紫紅釉が美しい鈞窯の碗である。金朝に焼成された美術品であるが、清朝(1616年~1912年)の乾隆帝が収蔵しており、彫刻の形で本美術品を絶賛する詩を残している貴重な美術品となっている。
当美術館では、乾隆官窯美術品も多く展示いたしております。
乾隆帝の愛した作品たちをごゆっくりお楽しみくださいませ!

◇写真:中国・金朝 960年〜1279年 
【金朝~宋時代の五大名窯】汝窯,官窯,哥窯,鈞窯,定窯
(けんりゅうていごだいぶんしもん こうはんきんようわん)
「鈞窯」【乾隆帝御題文詩紋 紅斑鈞窯碗・宮廷御用磁器】
「清朝」1736-1796年の乾隆帝が所有し御題文詩を残した。
(日本では平安~鎌倉時代、およそ1060年前)
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【(定窯)北宗定窯醬釉(印)三魚缠枝花紋碗・宮廷御用磁器】

中国・宋朝

【(定窯)北宗定窯醬釉(印)三魚缠枝花紋碗・宮廷御用磁器】

「定窯」
定窯とは中国、宋時代を代表する白磁窯で五大名窯の一つ。窯跡は河北省曲陽県澗磁村にあり、唐末期に開かれ、北宋期に飛躍的に発展する。定窯は、焼成の際に伏せ焼きにするため薄作りに仕上がり、鋭く厳正な形をもつ。伏せ焼きにする際、熔着を防ぐためにあらかじめ口縁の釉薬をはぎ取り、後の工程で口縁には覆輪(金属の輪)をはめ込んだり、白化粧したりする。また素地は象牙白色を呈し、その器面には刻花、印花、劃花、掻落し、貼花、金彩など多くの技法が用いられた。ほかに、色釉を総掛けした黒定、紅定、紫定と呼ぶものもあり、この窯の作品として知られる。定窯は元の時代まで脈々と続いたが次第に丁寧な作りは姿を消したため、北宋時代の作が最も評価が高いとされる。この展示品に使用されている醬釉は柿色釉とも呼ばれ、鉄を着色剤とする高温色の釉薬であり、酸化鉄と亜酸化鉄の合計量が5%以上と高い。他の柿釉と比べ黒釉に近い深く暗い褐色をしており、口縁は白化粧されている。また、器面には印花で紋様が施され、やきものとは思えないほどの優れた写実性と濃淡が見事に表現されている。

◇写真:中国・宋朝  960年~1279年
【宋時代の五大名窯】 汝窯,官窯,哥窯,鈞窯,定窯
(ほくそうていようじゃんゆうさんぎょてんしかもんわん)
「定窯」【北宗定窯醬釉(印)三魚缠枝花紋碗・宮廷御用磁器】
(日本では平安~鎌倉時代、およそ1060年前)
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【(官窯)宗「官」銘灰青釉鼓釘洗】

中国・宋朝

【(官窯)宗「官」銘灰青釉鼓釘洗】

「官窯」
中国宋時代の官窯は、まず北宋の都汴京開封府に置かれ…。その後、宋の南遷にともない、杭州臨安府の皇城内の修内司、次いで新窯が郊壇下に置かれました。皇帝や官僚の専用器具及び祭礼の器として宮廷に納められました。胎土は鉄分の多い、陶器質の黒みがかった土で、これが分厚い青磁釉で覆われる。黒みのある土を選択し、これに厚く釉を掛けることによって深みのある灰青釉に発色し、胎土と釉の収縮率の違いから、器面には大きい貫入及び細かく貫入が生じている。灰青釉と緑色の澄んだ釉色と複雑に入り組んだ釉薬の貫入が特徴である。
宋代の官窯は青磁窯であったが、明時代になると江西省の景徳鎮窯に永楽年間(1403~24)に官窯が設けられて、白磁、染付、色絵を中心として作陶され、清朝も1680年(康煕19)に景徳鎮に官窯を開いた。

◇写真:中国・宋朝  960年~1279年
【宋時代の五大名窯】汝窯,官窯,哥窯,鈞窯,定窯
(そう かんめい はいせいゆうこていせん)「官窯」【宗[官]銘灰青釉鼓釘洗・宮廷御用磁器】
(日本では平安~鎌倉時代、およそ1060年前)
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【回旋紋龍足炉・宮廷御用磁器】

高麗王朝

【回旋紋龍足炉・宮廷御用磁器】

「高麗」
高麗(918年~1392年)とは、王建(太祖)が建てた朝鮮半島の国である。元来は高句麗の後期における正式な国号であり、当時の日本や中国でも高句麗を高麗と称していたため区別のため王氏高麗と呼ぶこともある。
朝鮮半島では、三国時代から統一新羅時代の焼き物は素焼きの土器(無釉)であり、その後9世紀になると、墳墓から中国製の越州窯青磁や唐三彩の器が骨壺として出土したことで中国陶磁の影響を受け、青磁の焼成が始まった。12世紀には、翡色(ひしょく)という深い青みを帯びた美しい釉色、白や黒に発色する土をはめこんで装飾する象嵌(ぞうがん)など、高麗青磁特有の姿となる。
こちらの美術品は、足が龍頭に装飾されており、磁器の腹には回紋が描かれている。これは回紋の中でも最も一般的な正方形の回紋であり、このパターンの紋様は中国・馬家窯文化から出現し始め、商周青銅器や陶器に広く使用されている。

◇写真:高麗王朝
918年~1392年(かいせんもんりゅうそくろ)【回旋紋龍足炉・宮廷御用磁器】
(日本では平安~室町時代、およそ1100年前)

【黄釉五彩堆塑龍紋青花双魚高足杯・宮廷御用磁器】

中国・明朝

【黄釉五彩堆塑龍紋青花双魚高足杯・宮廷御用磁器】

「弘治帝時代の黄釉」
中国の伝統的な黄釉の1つである低温黄釉は、唐時代には唐三彩に登場しているが、唐三彩の黄釉の色合いは黄褐色である。しかし、明朝弘治帝時代の黄釉の色合いは本物の黄色とされ、低温黄釉で史上最高レベルに達した。また、色が比較的淡く繊細に見えることから「嬌黄」とも呼ばれる。弘治帝時代の黄釉は多くの伝承品とほとんど同じ色であり、景徳鎮の磁器職人が焼成技術を熟知していたことを示している。
明朝第10代皇帝である弘治帝は、成化帝の三男に生まれ、緩んだ国政を立て直したため「明中興の祖」と称されている。また、后妃張皇后以外の側室を持たない非常に珍しい皇帝であり、生涯を添い遂げたこの皇帝夫婦は亡くなってからも共に埋葬されたという。
こちらの美術品は、弘治黄釉が使用され、内側には青花で富・幸福のシンボルとされる双魚が、外側には五彩で龍紋が描かれている。五彩とは、高温で焼き上げた白磁に上絵具で絵付けをし、もう一度小型の窯へいれ焼き付ける技法を用いて作られた陶器のことを言う。この技法は釉上着彩画法と言い、釉薬では色を付けず、絵具でなければならない。五彩と呼ばれるが、五色のみを使っているわけではなく、単に同じ技法で焼かれているものであれば、二色でも六色でも五彩と呼ぶ。

◇写真:中国・明朝(弘治官窯)
1487年〜1505年(おうゆうごさいたいそりゅうもんせいかそうぎょこうそくはい)【黄釉五彩堆塑龍紋青花双魚高足杯・宮廷御用磁器】
(日本では室町時代、およそ530年前)
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【刻划 长命富贵・八仙过海紋将军罐・宮廷御用磁器】

モンゴル帝国・元朝

【刻划 长命富贵・八仙过海紋将军罐・宮廷御用磁器】

「八仙过海(はっせんかかい)」
中国では、八仙(八人の仙人)の伝説がある。この八人の仙人とは、李鉄拐(りてっかい)、漢鐘離(かんしょうり)、呂洞賓(ろどうひん)、藍采和(らんさいわ)、韓湘子(かんしょうし)、何仙姑(かせんこ)、張果老(ちょうかろう)、曹国舅(そうこっきゅう)らのことをいう。いずれも普通の人が仙人になったもので、その出身や特徴により、それぞれ老、若、男、女、富み、権力、貧乏、低い身分を代表する。
八仙が東海を渡るときに何仙姑が花竜太子(竜王の7番目の息子)に攫われてしまい、何仙姑を救う為に花竜太子と戦って大暴れをした。異なる道具を持った八仙人はそれぞれ異なる長所を生かして戦い花竜太子を倒したという〖八仙東遊記〗。この物語から、「八仙过海」はそれぞれの本領を発揮するという意味で使われるようになった。
中国では、八仙人を祭る道教の寺院のほか、おめでたい意味を表す春節にかける絵や戯曲などには、よく八仙人の題材が取り上げられている。この八仙人は『八仙過海図』というおめでたい図で知られており、この図はそれぞれ自分の宝物に乗って海を渡っていく様子を表している。日本でいう七福神のような縁起物である。
こちらの美術品は、世界最大の規模と生産量を誇る龍泉窯の磁器である。元代の龍泉窯は「大作主義」と「加飾主義」との二大要素ということができ、高さが30㎝以上あり器面には彫刻で八仙過海が施されている点で、龍泉窯の特徴が大いに表れる美術品であることがわかる。

◇写真:モンゴル帝国・元朝(龍泉窯)
1206〜1635年(こっか ちょうめいふうき はっせんかかいもんしょうぐんほとぎ)【刻划 长命富贵・八仙过海紋将军罐・宮廷御用磁器】
<長命富貴>長生きで、高い地位を持っていて、多くの資産があること。
(日本では鎌倉~江戸時代およそ800年前)

【芒口银边青花核糖鸳鸯戏水紋石榴尊・宮廷御用磁器】

中国・明朝

【芒口银边青花核糖鸳鸯戏水紋石榴尊・宮廷御用磁器】

「鴛鴦(えんおう・おしどり)」
鴛鴦(おしどり)がいつも雄雌つがいで泳ぐ姿から、中国では夫婦の変わらぬ愛を象徴する鳥とされてきた他、男女同時に使うものや二つが一つになったものに「鴛鴦」の名を冠している事がある。鴛鴦がつくものとして、紅茶とコーヒーを混ぜ合わせた鴛鴦茶、中国武術で用いられる鴛鴦鉞(えんおうえつ)などがあげられる。
「鴛」がオス、「鴦」がメスであり、それぞれの鳴き方を表している。
中国の故事には「鴛鴦の契り」という話がある。中国戦国時代、宋の康王(こうおう)の臣下であった韓憑(かんぴょう)が妻である可氏(かし)を王に奪われ、憤激のあまり、葬ってくれと遺書を残して自殺した。妻もまた葬ってくれと遺書を残して自殺した。王はわざと離れ離れに向かい合わせて墓を作ったところ、一晩で梓(あずさ)の木が両方の墓から生え、十日もすると枝が連なり根がからみあい、雌雄のオシドリが棲すみついて悲しい声で鳴いていたという。『捜神記(そうじんき)』より
この美術品には鴛鴦の紋様の他、芒口(のぎぐち)が銀で覆われているという特徴がある。
第14代皇帝である万暦帝の時代には、外国産の銀が大量に流入したことで流通経済は好況を呈し、その影響で文化的には明朝の最盛期を現出し、景徳鎮における万暦赤絵(万暦五彩)などの陶磁器の名作が生まれた。景徳鎮は中国を代表する名窯であり、宋代には白磁・青磁・影青、元代には青花・釉裏紅、明代には染付・赤絵が生み出された。景徳鎮の陶磁器は世界各国へと運ばれ、王族や貴族はもちろん、広く使用されるようになり、明・清においては、官窯として保護されている。

◇写真:中国・明朝(萬暦官窯)
1572〜1620年(のぎくちぎんがわせいかかくとうえんおうすいもんせきりゅうそん)【芒口银边青花核糖鸳鸯戏水紋石榴尊・宮廷御用磁器】(日本では安土~江戸時代、およそ450年前)

【仏像龍勾梵鐘‎・宮廷御用鐘】

高麗王朝

【仏像龍勾梵鐘‎・宮廷御用鐘】

「梵鐘(ぼんしょう)」
梵鐘とは、寺院の鐘楼(しょうろう)に吊るす釣鐘(つりがね)で、寺院内の行事のとき合図に打ち鳴らす仏教法具である。青銅製がほとんどであるが、まれに鉄製もあるという。梵語(サンスクリット)のbrahman(ブラフマン)を音訳したもので、清浄・神聖の意味がある。当初は教団内の律を知らせるための合図に使用されていた。撞木(しゅもく)でたたくと荘厳な音が発せられ、人々を仏の世界へと導いてくれる。作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘(高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。
仏教はインドに起源を持ち、アジア各地に広まった宗教であるが、梵鐘に関しては、中国古代の青銅器にその源流が求められる。殷・周時代から制作されている「編鐘(へんしょう)」という青銅器が梵鐘の源流と推定されているが、この鐘は全体的に小型で、その断面形状は後世の梵鐘のような円形ではなく、杏仁形(アーモンド形)である。
日本で製作された和鐘と朝鮮鐘にはいくつか違いがある。1つは鐘のつり手で、和鐘は二頭の竜頭(りゅうず)からなっているが、朝鮮鐘はつり手の竜が一頭となっている。また、和鐘には胴の部分に帯状の「袈裟襷(けさだすき)」と呼ばれる文様があるが、朝鮮鐘には袈裟襷がなく、主として天人の浮き彫りが施されている。さらに、和鐘にはない、装飾的な「旗挿または甬(よう)」と呼ばれる煙突状の筒管が取り付けられている。
こちらの梵鐘は鈕(ちゅう(鐘を吊り下げるための金具))の竜頭が一頭であること、その脇に円筒管を立てていること、また鐘身に、三段三列の乳、上辺の突起帯、下帯の他、天人像を浮き彫りにしていることが朝鮮鐘の特徴を表している。

◇写真:高麗王朝
1101~1200年(ぶつぞうりゅうこうぼんしょう)【仏像龍勾梵鐘‎・宮廷御用鐘】高麗王朝、仏教寺院の鐘(日本では平安~鎌倉時代、およそ920年前)

【黄釉五彩狮子缠枝花卉紋鼓钉绣墩・宮廷御用品】

中国・明朝

【黄釉五彩狮子缠枝花卉紋鼓钉绣墩・宮廷御用品】

「绣墩(しゅうとん)」
绣墩とは、中国の伝統的な家具の中で最も個性的な陶磁製の腰掛けである。座面は円形、腹部は丸みを帯びた太鼓のような形状を持つ。主に庭園で使用された。古代の中国人は、椅子を使わず床に敷いたマットや低い台の上に座っており、座り方はあぐらか正座が一般的であった。また、座る台の高さが高いほど座り手の地位の高さを示していた。しかし、唐時代以降には人々は足を垂れ下げて座るようになり、高さのある家具が増え、家具の一種として绣墩がうまれた。
こちらの美術品は、皇帝・皇位を表す黄色が使用されており、皇室用の椅子であったことがわかる。※宋代から清代(960年~1912年)までの中国では、黄色は皇帝・皇位を表す色として尊ばれ、皇帝以外の使用が制限された。椅子の高さは約30㎝である。腹部には獅子が描かれているが、中国では獅子は聖獣として伝来しており、邪気を払う魔除けの意味を持つとして獅子の文様が定着している。獅子を猪(しし)、鹿(しし)などと区別して唐獅子と呼ぶこともあった中国伝来の幻想動物としての獅子は、頭側部両側や頸部、尾を火索状に渦巻く多量の毛で覆い、胴体、四肢に数個の文様を散らした特異な形状容姿である。

◇写真:中国・明朝(萬暦官窯)
1572〜1620年(おうゆうごさいししてんしかきもんこていしゅうとん)【黄釉五彩狮子缠枝花卉紋鼓钉绣墩・宮廷御用品】古代皇室用の椅子です。(日本では安土~江戸時代、およそ450年前)
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【大明宣徳年製銘・紅釉・牛血紅釉灯草口高足碗・宮廷御用磁器】

中国・明朝

【大明宣徳年製銘・紅釉・牛血紅釉灯草口高足碗・宮廷御用磁器】

「紅釉・牛血紅高足碗」
明朝「宣徳皇帝」により焼かれた紅釉陶磁器は、コストが高いため極めて低い成功率でした。こちらの美術品は「濃薄」と、蜜柑の皮のような「油胞」が特徴であり、完成品として「宣徳皇帝」に認められましたが現存数は少ない。約220年後 清朝「康熙皇帝」時代に郎窯紅陶磁が焼かれました。これは、明朝の紅釉よりも釉薬が人の髪の毛のように下へ厚く流れているのが特徴で、より綺麗に完成させたと言われています。本館では、清朝「康熙皇帝」時代に焼かれた郎窯紅陶磁である【康熙年製銘 郎窯红・赏瓶・宮廷御用磁器】も展示しております。ぜひ比較してご鑑賞ください!

◇写真:中国・明朝 (宣徳官窯)
1425年~1435年(だいみんせんとくねんせいめい こうゆう ぎゅうけつこうゆうとうそうこうこうそくわん)【大明宣徳年製銘・紅釉・牛血紅釉灯草口高足碗・宮廷御用磁器】(日本では室町時代、およそ600年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【黄釉珐琅彩缠枝花卉紋菱花口碗・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【黄釉珐琅彩缠枝花卉紋菱花口碗・宮廷御用磁器】

「康熙琺瑯彩磁器」
琺瑯彩磁器の制作は康熙帝により進められ、宮廷の役匠や地方の名工、西洋人宣教師らの協力の下、約30年間の試験焼成の後に完成した。当時は「瓷胎画珐琅」と呼ばれ、それまでの伝統的な彩磁器に比べると西洋的なイメージに勝る新作で、より明るく鮮麗な色彩や装飾模様が施された。色材はヨーロッパからの輸入に頼っていたが、1728年以降になってようやく役匠などが琺瑯料の製造に成功し、それ以降は輸入品と国産品の併用が一般的になった。このことから、宮廷の職人が初めて手にした顔料と色彩は、地方からもたらされた桃紅色の顔料のほか、黄、緑、青、赤、紫、黒などと、それらを混ぜ合わせて作った様々な彩料があったことがわかり、他の国では見られない、18世紀の清朝宮廷独特の流行だったと言える。
こちらの美術品は、口が菱の花の形になっている碗で口縁は金化粧されており、厚く凸感がある花卉紋は黄釉上に様々な彩色で施されている。また、高台裏には「康熙御製」とあり、皇家の工房で落款が入れられたものだとわかる。皇帝を示す「御」という文字があることで、極めて特徴的な皇家の標記となっている。

◇写真:中国・清朝(康熙官窯)
1661年~1722年(おうゆうほうろうさいてんしかきもんりょうかこうわん)【黄釉珐琅彩缠枝花卉紋菱花口碗・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代、およそ360年前)

【二代 滝口加全作:九谷焼  湯呑】

日本・明治ー平成時代

【二代 滝口加全作:九谷焼 湯呑】

「二代滝口加全:明治44年~平成16年(1911-2004)」
金沢市生まれで本名は脇田勝次。初代加全(1872-1940)の養子となり二代目を継承する。
紀元二千六百年奉祝展に入選、以後第6回新文展と戦後の日展に3度入選する。その他、国画会、光風会、朝日陶芸展等にも出品。富本憲吉や北大路魯山人、深田久弥らと交友関係にあった。
無所属で陶芸の根本を追求し、陶石探しから作品の完成まで全ての作業を一人で研究し取り組み、伝統的な九谷色絵のほかに吸坂風から青磁まで広く陶技をふるった。
また陶彫に長け、色絵磁器から茶陶まで、ずば抜けた技の冴えを見せ、楽茶碗なども扱った。二代作の陶彫は仏像、人物像にとどまらず馬・獅子・鶉など鳥獣に至る。
二代作の湯呑は加賀市「深田久弥 山の文化館」にも展示されており、どちらも丸みを帯びたやわらかい雰囲気を持つ。

◇写真:日本・明治~平成時代
1911年~2004年(にだい たきぐちかぜんさく くたにやき ゆのみ)【二代 滝口加全作:九谷焼 湯呑】(およそ110年前)
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【康熙年製銘 郎窯红・赏瓶・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【康熙年製銘 郎窯红・赏瓶・宮廷御用磁器】

「郎窯紅・賞瓶」
郎窯紅は、清朝康熙皇帝により当時1705年から1712年に郎延极氏が督窯官をしていた景徳鎮窯、通称郎窯で焼かれた紅色陶磁器の総称である。
康煕帝時代に中国の好きな「深紅、桃色」を極めた。発色により、鷄血紅、牛血紅、火焔紅、林檎緑、桃花紅などの名前が残る。
牛血紅は厚手厚釉で厚釉に血筋が流れるように見え、極めて濃い色である。燃焼時に釉薬が下に垂れ、口縁部分は白色となり、そこから次第に紅くなり牛血紅と言われる鮮やかな真赤色を呈し、釉表には貫入が入る。強いガラス光沢があり、鏡のように明るく、玉のように潤い、血のように赤くという特徴がある。大変難易度の高い釉薬で製品化率は低く、現存する作品もわずかである。
清朝の間に登場した賞瓶はその名の通り、清朝皇帝から王侯の貴族へ、または臣下の功績を称えるために特別につくられ贈り物として使用された。形は玉壺春瓶に由来し、伝承品は基本的に同じ形であり、どちらも細長い首、丸い腹、円足である。
この美術品は、康煕皇帝が褒賞として功臣に与えたとされる作品で、賞瓶の美しい形状と郎窯独自の「牛血紅」が特徴である。

◇写真:中国・清朝 (康熙官窯)
1661年~1722年(こうきねんせいめい ろうようこう・しょうびん)【康熙年製銘 郎窯红・赏瓶・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代、およそ360年前)

【斗彩寿桃花鸟纹茶杯一対・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【斗彩寿桃花鸟纹茶杯一対・宮廷御用磁器】

「明朝・清朝の五彩」
白磁や白い陶胎の釉上に赤・青・黄・緑・紫・黒などの色釉(いろぐすり)で紋様を描き、低温度の窯で焼きつけたものを「五彩(日本では赤絵)」という。五色でなくとも同じ技法で焼かれているものであれば、二色でも六色でも五彩と呼ぶ。明代以降、景徳鎮を中心として盛んになり、嘉靖期には金彩を加えた金襴手なども登場した。清・康熙以降は精巧な五彩が官窯でつくられるようになり、粉彩や洋彩など新たな技法も生まれていった。
明代の五彩磁器は主に赤と緑で構成されており、その中には黄色と黒が点在しているが、清代の五彩磁器は明代のものより赤が少なく、穏やかで暖かい色であること、また、白い素地を生かした典雅なものが多いことが特徴である。
この茶杯は清代の作品であり、余白を残した紋様と落ち着いた色味が美しい磁器となっている。

◇写真:中国・清朝 (雍正早期官窯)
1722年~1735年(とさいじゅとうかちょうもんちゃはいいっつい)【斗彩寿桃花鸟纹茶杯一対・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代、およそ300年前)

【珐琅彩・山水鳳凰紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【珐琅彩・山水鳳凰紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】

「清朝の鳳文」
鳳凰とは中国の伝説上の動物で、鳥の中で最も崇拝される霊鳥です。そして、吉祥や調和の象徴でもあります。めでたいことが起きる前兆で現れるとされた縁起の良い鳥の代表で、徳の有る天子(皇帝)が出現した時に表れ、雌雄が一緒に羽ばたいて共に鳴けば、天下泰平である証とされました。
雄のことを鳳(ほう)雌を凰(おう)と呼びます。
鳳凰は皇后の象徴とされ、龍文の次に位の高い文として扱われています。
鳳凰の姿かたちは、鹿や蛇、魚、燕つばめなどさまざまな生き物の集合体として表されます。五色絢爛で、羽に孔雀に似た五色の紋があり、五音の鳴き声を発するという。
甘い泉の水だけを飲み、小動物や虫など生きているものを食することはなく、60年に一度だけ実を結ぶという竹の実のみを食べる。とまるのは梧桐(ごとう アオギリ)の木だけで、巣作りの際に草花を折るようなこともしないとされています。
龍と同様に殷・周期の青銅器の文様に表れた始まりから、時代を追うごとに変化を重ねます。清に入ると唐以来久しぶりに鳳凰に脚が描かれます。清の鳳凰の脚は唐の鳳凰と比べると華奢で長く羽毛が青海波文様のように規則正しく並べられ、長い尾は優雅に翻る様子が描かれています。 全体が繊細で美観の洗練が見受けられます。

◇写真: 中国・清朝(康熙官窯)
1661年~1722年(ほうろうさい さんすいほうおうもんりょうかこうおおばん)【珐琅彩・山水鳳凰紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代、およそ360年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【東漢绿釉双铺首陶壶・宮廷御用陶磁器】

中国・漢朝

【東漢绿釉双铺首陶壶・宮廷御用陶磁器】

「緑釉陶器」
緑釉は低火度で溶けるので、陶器作りの初期的段階で一般的に作られました。中国で盛行したのは1~2世紀の後漢時代で、日本では奈良時代になって出現した。
中国の漢時代には彩色文様を施した加彩土器とともに、鉛を触媒とした緑釉陶・褐釉陶が墓への副葬に特化した器物「明器」として盛んに作られました。緑釉は銅を、褐釉は鉄を、それぞれ呈色材に用いています。酒壺の一種である壺はもともと青銅器であるが、漢時代には緑釉陶でもよく写され、ほかの器種の明器とともに冥福を祈って墓に副葬された。仮圏足、盤状口などの特色ある形状や、鋪首の形状から、後漢時代前期(1世紀)に製作され、典型的な緑釉壺であると位置づけられる。
銀化とは、透明釉の風化によって生じた薄膜の多層構造内で光が干渉しあって発生する構造色により金属的な発色を生じる現象で、銀化の状態は風化の程度により異なり、うっすらと虹色がかって見えるものから、ほとんど色彩を失い粉を吹いたように灰白化したものまでと様々で、白化した緑釉陶の中には出土品の玉器に似た風合いに見えるものもあります。土中による自然銀化は漢緑釉陶に顕著で、他の陶磁器ではあまり見られません。漢緑釉は当時の陶磁器としてはより艶やかで鮮やかな人工色で、灰陶・黒陶・加彩灰陶(彩陶)のみならず、施釉陶である灰釉陶に比べても艶やかな仕上がりでした。
漢緑釉陶は古代青銅器を模していたとされていますが、緑釉の艶やかな仕上がりや釉質がガラス質で色褪せや変色をしない点に着目すると、青銅器の緑青錆の色というよりは、玉器として磨き上げられた緑碧玉の質感に近いように思われます。漢緑釉陶は鉛釉陶の一種で、鉛釉陶は中国陶磁の生産技術にある種の革新をもたらし、漢時代に膨大な数量が焼成されました。

◇写真:中国・漢朝(原始青磁)
紀元後25年 ~220年(とうかんりょくゆうそうほしゅとうそん)【東漢绿釉双铺首陶壶・宮廷御用陶磁器】(日本では弥生時代、およそ2000年前)

【松石緑釉・珐琅彩花奔紋玉壶春瓶 ・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【松石緑釉・珐琅彩花奔紋玉壶春瓶 ・宮廷御用磁器】

「清朝(1616-1912)の陶磁器」
清時代の陶磁は、中国陶磁史の到達点・総決算と称されている。陶磁器生産の中心地は景徳鎮窯であった。明時代の万暦帝の死去後廃止されていた景徳鎮の官窯は康熙20年(1681年)頃に復活する。清時代には粉彩または琺瑯彩と呼ばれる、西洋の七宝焼を応用した絵付け法が開発された。琺瑯彩は七宝焼と考えてよいのだが、さらに中国の絵付け技法を融合させて中国独自の琺瑯彩がつくられた。粉彩は、美しい白磁の素地を活かして、色ガラスの粉末に鉛粉を混ぜて顔料を作っていくこともあって、絵付けの段階で仕上がりの色調が把握できることが大きな特徴である。そのため、絵画と同様に絵付けを施すことが可能となり、官窯において宮廷画家なども動員がなされ、陶磁器に絵付けが行われるようになる。粉彩の技法を施したもののうち、宮廷の内務府造弁局の琺瑯作で絵付けされ、ガラス顔料で上絵銘を記したものを「琺瑯彩」、景徳鎮窯で全ての工程を仕上げ、青花銘を記したものを「粉彩」と呼び分けています。東洋の釉上彩色は、水彩画や日本画のように彩料をニカワ・フノリで溶いた水溶(みずとき)で、それに対し西洋式では油彩画のように乾性油・不乾性油を混合する油溶(あぶらとき)と異なる性質を持ちます。粉彩はこの二つを併用し複数回の焼成を重ねる、非常に技術力と時間のかかる技法である。絵具の濃淡を活かした精細な描写で文様を描いており、繊細な筆致で活き活きとした様子が表されるなど、見るものを虜にしてくれます。当館では数多く粉彩及び琺瑯彩を展示しております。他では見られない大型の瓶もございますので、是非御覧ください。

◇写真: 中国・清朝(乾隆官窯)
1736年〜1796年(まついしりょくゆう ほうろうさいかべんもんぎょっこしゅんびん)【松石緑釉・珐琅彩花奔紋玉壶春瓶・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代後期、 およそ300年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【天龍寺青磁・刻如意花草紋梅瓶・宮廷御用磁器】

モンゴル帝国・元朝

【天龍寺青磁・刻如意花草紋梅瓶・宮廷御用磁器】

「天龍寺(てんりゅうじ)青磁」
天龍寺青磁とは、中国浙江省の龍泉窯で元代後期から焼かれた青磁。
光沢のある濃い緑色の青磁釉がどっぷりとかけられた堂々たる青磁である。厚手に作られ、大皿(大盤)、大壺、梅瓶など大型作品も多い。
東南アジアなどに、大量に輸出されていました。
名前の由来は、室町時代、足利尊氏が始めた、貿易船の「天竜寺船」
や、京都の天竜寺に伝わる青磁の牡丹文貼付の香炉に、由来するとの説があります。
砧青磁に次ぐ品質であり、浮き牡丹文などの刻文や、貼り付け文のある物も多く、装飾に主眼を置いた、新しい作品とも言えます。
景徳鎮窯の染付磁器と同じ様式を備え、元代ならではの時代色を強烈に表現した天竜寺手(で)の青磁は、元代後期の14世紀から明中期の15世紀まで盛んに焼造された。

◇写真:モンゴル帝国・元朝(龍泉窯) 1206年~1635年(てんりゅうじせいじ こくにょいかそうもんめいぴん)【天龍寺青磁・刻如意花草紋梅瓶・宮廷御用磁器】(日本では鎌倉~江戸初期およそ800年前)
※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【斗彩鸳鸯戏水紋小碗・宮廷御用磁器】

中国・清朝

【斗彩鸳鸯戏水紋小碗・宮廷御用磁器】

「豆彩」
五彩(日本でいう赤絵・色絵)磁の一技法。まず青花で細い線の輪郭を描き、透明釉を施し、1300度の高温で、形を作り、再び赤、緑、黄色を透明釉の上で添色し、低温焼成で完成品になる。完成品に釉上彩と釉下彩の諸色が鮮やかに表れ、まるで綺麗さを争うようになっていることから、【闘彩】と呼ばれている。
絵付文様はていねいで気品の高い表現となる。この技法は初め明の成化年間(1465~87)に景徳鎮窯(江西省)で試みられて成立し、続いて明王朝下の歴代の官窯でもつくられた。豆彩とはその色調が青豆に似ているところから名前が付けられました。
豆彩はその技術の要求がとても難しく、なかなか良いもの出来ない。
数が少ないこともあり、その貴重性は非常に高く、希少価値もつきやすいです。数が少ない理由の一つとして挙げられるのが、本当に完成度が高いもの以外は破棄していたということも挙げられます。だからこそ残っている豆彩は完成度が高いものばかりなのです。なお、窯址出土の豆彩には、伝世品とは作調の違った、濃厚な色彩のものもある。成化期には宣徳期に続いて黄地青花が作られ、弘治以降は白磁緑彩、黄地緑彩なども作られている。成化期には青花の作品もあり、薄手に整形された青花の碗は欧米でパレス・ボウルと呼ばれて珍重されている。

◇写真: 中国・清朝(雍正早期官窯) 1722年〜1735年 (とうさいえんおうすいもんこわん)【斗彩鸳鸯戏水紋小碗・宮廷御用磁器】 雍正在位13年、 即公元1723年至1735年。(日本では江戸時代後期、およそ300年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【龍鳳紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】

モンゴル帝国・元朝

【龍鳳紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】

「元朝 龍泉窯」
龍泉窯は浙江省麗水地区龍泉県を中心として数百窯あった青磁窯の総称で世界最大の規模と生産を誇りました。窯跡は、浙江省麗水市龍泉市を中心に広く分布。唐時代から、青磁のほか黒釉も生産。青磁の本格的な生産は北宋時代に始まり、灰色がかった淡い色の釉調、淡青釉が特徴で、実用器のほか多嘴壺などの明器が作られた。北宋時代後期には緑青色の釉色が多くなり、南宋時代には明るい青色、粉青色の青磁(砧青磁)が出現する。元時代になると、「大作主義」と「加飾主義」との二大要素ということができる。高さが30センチを超える大壺、梅瓶、水注、扁壺、花瓶、香炉、径が40センチを越す大盤など、その典型作はいずれも重量感にみちた肉取りのあつい大作である。イスラム教圏の食文化を反映して盤が大型化した。貼花文や刻花文などの器面装飾が多用され、青緑色の青磁(天龍寺青磁)が主流となり、景徳鎮窯の製品と器形・文様がかなり共通している。作品が大きいため、花瓶などは「首やボディ、高台などパーツごとに分けて作っている」。高台裏に赤褐色に発色している蛇の目があるところ、また陰刻や陽刻の文様を施した作品が多いのも「天龍寺青磁」ならではの特徴といえる。天龍寺青磁では、劃花(かっか)や印花、透かし彫り、また、釉面に鉄斑を黒く飛ばして銹斑をつくる飛青磁(とびせいじ)といった様々な装飾が施されるようになりました。

◇写真:モンゴル帝国・元朝 (龍泉窯) 1206年~1635年(りゅうほうもんりょうかこうおおばん)【龍鳳紋菱花口大盘・宮廷御用磁器】(日本では鎌倉~江戸初期およそ800年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【青花缠枝牡丹花紋罐・宮廷御用磁器】

中国・明朝

【青花缠枝牡丹花紋罐・宮廷御用磁器】

「明朝嘉靖・万暦年間の青花磁器」
嘉靖・万暦年間の青花磁器にもはっきりとした風格上の特徴がある。この時期の青色は濃く、鮮やかであるが、その鮮やかな青の中にかすかな赤紫色が感じられる。文様の線は大まかで、形式にこだわることなく、自由に描かれている。文様の色彩には濃淡の差が少なくなり、濃くなっており、その濃さは線の色の濃さに近くなって、独特の風格をだしている。文様の題材は幅広く、百子図、龍鳳、魚藻、草花、吉祥図案などで、いずれもこの時代の特色があらわれている。
万暦年間を過ぎると構図も文様も粗雑になり、官窯の青花磁器は下り坂をたどり始めることになる。しかしその一方で注目に値するのは民窯の青花磁器である。とりわけ明代の民窯青花は詩情豊かで、想像力が発揮されている。文様図案の題材も幅広く、人物、花鳥、果実、雲龍瑞獣、山水遊魚、吉祥図案などさまざまなものがあらわれている。これらの青花文様は生き生きと描かれており、文様の意図に奥深さが感じられる。わずかな線描きによって、万物を天地空間にすえ、自然の妙を描き出し、内心にこもる感情を表現している。こうした風格は清代から現在に至る民間青花磁器の中にもずっと生かされ続けてきている。

◇写真:中国・明朝/嘉靖(官窯)   1522〜1566年(せいかてんしぼたんかもんほとぎ)【青花缠枝牡丹花紋罐・宮廷御用磁器】(日本では室町時代、およそ500年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【双鱼洗 ・宮延御用磁器】

中国・宋朝

【双鱼洗 ・宮延御用磁器】

「双魚」
中国では魚を「ユィ」と発音し、「有余(有り余る)」と同じ発音であることから、富と幸福のシンボルとされました。また、魚はたくさんの卵を産むため、子孫繁栄の意味合いもあり、魚の文様はたいへん縁起の良いものでした。
中国人は、太古の昔より熱心に子孫繁栄を祈念してきました。
その際に人々の注意を引きつけたのは、他の陸上動物とは違って一度に多量の卵を産むという魚の持つ多産性である。この魚の多産性と 子孫繁栄とが結びつき、そのイメージをより効果的に表現するために雌雄一対の形で描いた図像が双魚紋なのです。すなわちこれは、単に魚が二匹 描かれている、対偶だけを意識した図像なのではないということになります。

◇写真: 中国・宋朝(龍泉窯) 979年〜1280年(そうぎょせん)【双鱼洗 ・宮延御用磁器】(日本では平安時代、およそ1050年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【大明永楽銘鎏金造像・宮廷御用永楽像】

中国・明朝

【大明永楽銘鎏金造像・宮廷御用永楽像】

「金銅仏」
中国では、古くから青銅器の伝統をもち、多くの禽獣(きんじゅう)像などがつくられていました。やがて、仏教の伝来により仏像がつくられ、また鍍金の技術も早くから発達していたので、4世紀ごろの小像はすべて金銅仏(中国では鎏金(りゅうきん)像ともいう)でした。
金銅仏とは、銅製の仏像彫刻に鍍金(メッキ)を施したものです。
仏身が黄金造りであったとの信仰から、インド、中国をはじめわが国を含む仏教世界で広く製作されました。作り方としては、蝋(ろう)で形を作った後に土を塗り、焼くと蝋は溶けて土は固くなります。蝋が溶けたところに銅を流し込んで固め、固まった段階で土を割り、できた銅像に金メッキを施して金色にするのです。
金色に輝く金銅仏は、通常の古銅の仏像よりも丁寧に作られているものが多い。一見、金銅仏のように見える漆に金箔を貼った漆箔(しっぱく)という仏像もあります。
しかし、鍍金(金銅)と塗金(漆箔)では価値がかなり違います。

◇写真:中国・明朝  1403年~1424年(だいめいえいらくめいときんぞうぞう)【大明永楽銘鎏金造像・宮廷御用永楽像】(永楽・中国明朝第三个皇帝「明成祖」的年号,共二十二年。)(日本では室町時代、およそ600年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

【官窯 弦紋长颈瓶・宮廷御用磁器】

中国・宋朝

【官窯 弦紋长颈瓶・宮廷御用磁器】

「官窯」
宮廷専用の陶磁器を焼く窯を官窯という。
宋時代の官窯は、まず北宋の都汴京開封府に置かれました。その後、宋の南遷にともない、杭州臨安府の皇城内の修内司、次いで新窯が郊壇下に置かれました。首都・杭州(浙江省)に置かれた官窯ではただ青磁のみが焼かれ、飲食器や祭礼の器などとして宮廷に納められました。胎土は鉄分の多い、陶器質の黒みがかった土で、これが分厚い青磁釉で覆われる。黒みのある土を選択し、これに厚く釉を掛けることによって深みのある青に発色し、胎土と釉の収縮率の違いから、器面には細かく貫入が生じている。青緑色の澄んだ釉色と複雑に入り組んだ釉薬の貫入が特徴である。
宋代の官窯は青磁窯であったが、明時代になると江西省の景徳鎮窯に永楽年間(1403~24)に官窯が設けられて、白磁、染付、色絵を中心として作陶され、清朝も1680年(康煕19)に景徳鎮に官窯を開いた。
朝鮮半島では李朝時代の広州窯(京畿道(けいきどう)所在)が正しい官窯であり、日本では江戸時代になって鍋島藩が築いた大河内窯をはじめ、各藩の藩窯が官窯にあたる。

◇写真:中国・宋朝  960年〜1279年 (かんよう げんもんながくびびん)【「官窯」弦紋长颈瓶・宮廷御用磁器】(日本では平安時代、およそ1060年前)※詳細写真は写真をクリックすると見られます※

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