本館収蔵品紹介

【黄釉五彩堆塑鱼藻紋香盒】(万歴官窯)

中国・明朝

【黄釉五彩堆塑鱼藻紋香盒】(万歴官窯)

最も尊い色 「黄色」
中国において徳の高い色といえば黄色。これは皇帝しか使うことが許されていない色でした。「土=黄=中」、大地のシンボルカラーは黄色、中央を示すというところから国土の中心で統治する人が身につけるべき色が黄色となり、皇帝が使う色になりました。

◇写真: 中国・明朝/1573年~1620年七月 (おうゆうごさいたいそぎょそうもんこうごう)【黄釉五彩堆塑鱼藻紋香盒】(万歴官窯) 明神宗朱翊钧年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ540年前)

【五彩龍鳳紋大盘・宮廷御用磁器】(万歴官窯)

中国・明朝

【五彩龍鳳紋大盘・宮廷御用磁器】(万歴官窯)

「五彩」
五彩とは、白磁または白釉陶(はくゆうとう)に赤・青・黄・緑・紫などの釉(うわぐすり)で絵や文様を表したもの。素地に透明釉を掛けて高火度焼成した後、釉上に上絵具で図柄を描き、錦窯(きんがま)という小型の窯で再び低火度焼成した上絵付け、およびその陶磁器。1つの器に五彩と青花を併用する場合もあります。この技法は釉上着彩画法と言い、釉薬では色を付けず、絵具でなければいけません。五彩と呼ばれますが、五色のみを使っているわけではなく、単に同じ技法で焼かれているものであれば、二色でも六色でも五彩と呼びます。始まりについては、発掘調査などで元時代から生産された説が有力ですが、正確なところは現在もわかっておらず、調査が続けられています。五彩は近代に入り、多くの色彩が彩色され、色合いが鮮やかになりました。その美しさを競い合い、闘争している様子から、闘彩と呼ばれることもあります。嘉靖年間(1522~1566年)は五彩磁器の全盛期であり、色どりの様々な製品が作り出されていきました。官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたもののほか、色地に色文様を加えた雑彩と呼ぶ濃麗五彩磁も作られました。日本では赤絵・錦手(にしきで)などと言います。硬彩。

◇写真:中国・明朝/1573年~1620年 (ごさいりゅうほうもんおおばん)【五彩龍鳳紋大盘・宮廷御用磁器】(万歴官窯)明神宗朱翊钧的年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ450年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【青花鸳鸯戏水缠枝花卉紋大碗・宮廷御用磁器】

モンゴル帝国・元朝

【青花鸳鸯戏水缠枝花卉紋大碗・宮廷御用磁器】

「モンゴル帝国 元朝 青花」
モンゴル人クビライの征服した帝国は北京を都とし、支配圏はユーラシア大陸全土に広がりました。モンゴル民族による交易、市場の確立は中国の陶磁器の名声を広めることになります。特にイスラム商人による陸路での行商が活発になり、福建の泉州、福州の港からの海上貿易も行われました。元王朝が領土を拡大し、イスラム圏から藍色に発色する良質のコバルトを手に入れた事により、青花(せいか)いう陶磁史上に残る画期的な発明がされました。生産が盛んになり、輸出磁器として、イスラム圏などの外国で競って求められるようになりました。青花は「青い文様」の意で、英語では「ブルー・アンド・ホワイト」、日本語では「染付」と称される。青花は釉下彩の一種であり、成形した器をいったん素焼きしてから、酸化コバルトを含む顔料で器面に絵や文様を描く。その上から透明釉を掛けて高火度で還元焼成すると、顔料は青色に発色する。西アジアから輸入されたコバルト顔料が使用されたことが分析結果から判明しており、この顔料を中国では「回青」または「回回青」(「イスラム圏の青」の意)。釉下彩の技法は、すでに唐時代の長沙窯に先例があるが、宋時代には中国陶磁の主要な技法とはなっていなかった。釉下彩磁が盛んになるのは元時代の景徳鎮窯からである景徳鎮窯は青花の技法を駆使して斬新な造形と意匠を残し、後代まで受け継がれています。元代磁器の特色の一つは大作が多いことで、径40センチを超える大盤(大皿)をしばしば見る。こうした大作主義は、輸出先である西アジアの需要に応じたものと考えられる。西アジアのイスラム圏では、円卓を大勢で囲み、大皿に盛った料理を各自が取り分けて食べる習慣があった。文様は伝統的な龍、鳳凰などのほか、人物図、牡丹唐草などの親しみやすいものが多く、大きな器面を目一杯使用して、あまり余白を残さずに文様を描き詰めたものが多い。主文様の上下や周囲に蓮弁文、如意頭文、波濤文などの従文様帯を配した構成には、西アジア美術の影響が看取される。人物文には当時の雑劇である「元曲」の場面を描かれているものが多い。

◇写真:モンゴル帝国・元朝/1206年~1635年 (せいかえんおうすいてんしかきもんおおわん)【青花鸳鸯戏水缠枝花卉紋大碗・宮廷御用磁器】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【北宗「官」銘双鱼紋定窯盖盒・宮廷御用磁器】(定窯)

中国・五代ー北宋朝

【北宗「官」銘双鱼紋定窯盖盒・宮廷御用磁器】(定窯)

宋朝五大名窯 「定窯(ていよう)」
定窯は河北省保定市曲陽県に位置する中国の著名な白磁窯であり、宋代には官窯となりました。宋代五大名窯の一つです。なかでも宋代から金代にかけては宮廷用器も数多く生産され、「牙白」と呼ばれる象牙のような白色(アイボリーホワイト)を特色とする優雅な定窯白磁は、皇帝はじめ士大夫などにも広く愛好されました。窯の周辺からは白磁に適した白土がとれました。今日のような純白の発色が可能になったのは、窯で燃やす薪が石炭に変わり、高温で短時間に焼き上げる技法が完成したからです。 白い素地にクリーム色がかった透明釉をかけたものと,型押しや浮彫など彫文を施して透明釉をかけたものとがあります。また金彩を施したものは,金花定窯として特に珍重される。
文様は型を用いる印花文(いんかもん)、ヘラ彫りによる刻花文(こっかもん)、浅く片切彫する劃花文(かっかもん)など種々様々だがいずれも軽快で淡い気品を醸し出している。注目するところはその薄さです。精選された生地で最も薄くできる鉢や椀に限定し、なるべく変形しないよう逆さに伏せて焼きました。その際接地する縁の部分が無釉となるため、銀や銅で覆った。これを覆輪(ふくりん)という。定窯は元の時代まで脈々と続いたが次第に丁寧な作りは姿を消したため、北宋時代の作が最も評価が高いとされます。しかし残念ながら現存数がきわめて少ないです。

◇写真:中国・宋朝 960年〜1279年 (ほくそう かんめい そうぎょもんていようふたごう)【北宗「官」銘双鱼紋定窯盖盒・宮廷御用磁器】(定窯)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ1060年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【双鱼耳香炉・宮廷御用磁器】宋朝(哥窯)

中国・宋朝

【双鱼耳香炉・宮廷御用磁器】宋朝(哥窯)

「哥窯」
哥窯の窯址は未詳である。白に近い色に発色し、器全面に貫入の入った一連の伝世品青磁を「伝世哥窯」と称している。しかし、哥窯の名は宋時代の文献には登場しない。また、「伝世哥窯」と同様の陶片は宋時代の墓や遺跡からは出土しておらず、これらの作品の正確な製作時期や製作地は未詳である。南宋時代,浙江省の竜泉窯に,章生一,章生二という2人の名工がおり,その兄の章生一が焼いた,貫入のある青磁であるといわれる。〈哥〉は兄の意味である。近年竜泉窯址が調査され,製陶の中心だった大窯付近で,南宋官窯(郊壇窯)の青磁に似た貫入のある青磁が焼かれていたことがわかった。しかし哥窯とよばれて伝世している青磁はかなり多様で,南宋官窯との判別も難しく,問題とされている。釉薬に無数のヒビ(貫入)が入っており、二重貫入で知られています。胎土と釉薬の膨張係数、収縮率の違いにより貫入を生じ、胎土の鉄分が浸み出した黒く太い貫入とやや細い貫入があるそうです。この細い貫入が黄色や赤みを帯びたものがあります。稀に金色に見えるものを「金糸鉄線」と呼び、珍重しています。偶然ではなく、意図的に作られたようです。また、胎土に鉄分があるため、釉薬の薄い部分が黒くなる。瓶の口、畳みつきがやや黒くなる。「紫口鉄足」と呼ばれています。追記
では何故こんなヒビだらけの陶磁器ができたかと言うと、こういう話が明時代の文献に残されています。南宋の初期、中国の龍泉県には章一と生二と言う二人の腕の立つ陶工がいました。
二人は実の兄弟でしたが、特に兄の章一の作る青磁の評判は高く、弟の生二はそれに嫉妬を感じていました。「兄の焼く青磁はどうしてあんなに素晴らしいのか?」疑問に思った弟の生二は、まだ完全に焼き終わっていない窯を開けて内部を覗き込みその秘訣を盗もうとします。しかし、窯を開けた事で一気に外気が流れ込み、温度変化に敏感な焼き物は本来焼き上げたかった姿とは全く違うヒビだらけの変わり果てた姿になりました。その失敗作を見つけた兄の章一はそのヒビに深い味わいがある事に気付き、それを再現します。そして兄の窯は更に人気となりました。弟の生二もその後修行を重ねたいそう綺麗な青磁を焼く「龍泉窯」という窯を創設し南宋から明時代にかけて国内国外に流通した膨大な量の青磁を焼いた「中国一の青磁窯」となるのです。

◇写真:中国・宋朝 960年〜1279年 (そうぎょじこうろ)【双魚耳香炉・宮廷御用磁器】(哥窑)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ1060年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【紅斑紋鈞窯碗・宮廷御用磁器】(钧窯)

モンゴル帝国・元朝

【紅斑紋鈞窯碗・宮廷御用磁器】(钧窯)

「鈞窯」
中国、宋元時代の名窯。鈞州と呼ばれた河南省禹県を中心に,宋・元時代以降華北各地で焼造された。青みのある失透性白釉のかかった陶器の総称。青い釉薬は、日本では「澱青釉」、中国では「天青(てんせい)」と呼ばれている。釉薬に硅酸(けいさん)分が多く含まれる成分を加えることで白濁させる。さらにその上に、銅を主成分とする釉薬を施して、杯の内外面に紫紅色の斑文を作り出している。これらの釉薬は鈞窯に特徴的な技法である。澱青釉と紫紅斑の織りな定形で抽象的な文様は、まるで天体望遠鏡で覗いた星雲の様に幻想的である。作風によって宋鈞窯,元鈞窯などと区別されることがある。近年,禹県県城内の八卦洞に窯址が発見され,昔から非常に珍重されてきた紅紫釉のかかった上質の鈞窯植木鉢,水盤の類が,そこで製作されたことがわかった。器形には鉢,碗,皿,香炉,壺,瓶,植木鉢などがある。

◇写真:モンゴル帝国・元朝(钧窯)1206年~1635年 (こうはんもんきんようわん)【紅斑紋鈞窯碗・宮廷御用磁器】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【窑变釉寿桃紋抱月瓶・宮廷御用磁器】(乾隆官窯)

中国・清朝

【窑变釉寿桃紋抱月瓶・宮廷御用磁器】(乾隆官窯)

「清朝乾隆年製」
女真族出身のヌルハチが1616年に満州で建国し、1644年から1912年までの中国大陸とモンゴルを支配した征服王朝・清(しん)。その期間は268年間で、時期や長さだけで見れば、日本の江戸時代(1603~1868年=265年)に似ている。そんな清の最盛期が、第6代・乾隆帝の時代だ。乾隆帝は12代にわたって続いた清の歴史のなかで60年もの長期政権を布き、生没年も1711~1799年と、数えで89歳の長寿に恵まれた。乾隆帝時代は1736年から1795年までの60年間にも及ぶ長期政権でした。乾隆帝は、清朝の歴代皇帝の中でも、とにかく異様なまでの芸術・骨董好きで特に有名です。清朝時代いや中国史の中で最も華やいだ時代と呼ばれ、各種文化や芸術が究極まで高められました。それまでの中国陶磁器史の全ての分野において、最高の焼き物が焼かれたと言って過言ではないでしょう。白磁、青磁、青花磁、五彩磁、粉彩磁、豆彩磁、とにかくありとあらゆる焼き物が最高の技術をもって焼かれています。そういう陶磁器全盛の乾隆帝期において、更に陶磁器に関して特筆すべき特色がいくつかあります。一つは、乾隆帝のひたむきな古陶磁器収集への情熱です。特に現在、宋代の神品と呼ばれ、故宮博物院などに収蔵されているような陶磁器には、乾隆帝がその権力に任せ収集したものが少なからず含まれています。乾隆帝は、その中でも特に気に入った古陶磁器の裏面などに、自らが作った題詩を掘り込んでいます。数多くの漢詩を作る詩人の素養もあり、中国の伝統的な文学を奨励しました。また、すでに300年前の清時代、当時最大の権力者であった皇帝ですら宋時代の一級陶磁器は収集困難でした。そんな宋磁への憧れから、乾隆帝期には宋の名窯の倣品(完璧にコピーした品)がたくさん製作されており、それはそれで大変高価なものとなっています。政治的にはそれまでの国庫を使い果たした乾隆帝でしたが、陶磁器的には逆に膨大な『財産』を現代に遺してくれたのが乾隆帝でした。乾隆年製とは「大清乾隆年製」と呼ばれ、乾隆帝が在世時に作られた陶磁器の裏に入れられた銘です。乾隆とは、清の第6代皇帝 高宗(弘暦)の在世時の元号で皇帝は元号+帝で呼ばれています。中国(清)の文化や芸術を愛していた乾隆帝は多くのコレクションを残していて、文化や芸術的にも発展を遂げた時代といえます。

◇写真:中国・清朝(乾隆官窯)1736年〜1796年 (ようへんゆうじゅとうもんほうげつびん)【窑变釉寿桃紋抱月瓶
・宮廷御用磁器】(日本では江戸時代後期、およそ300年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【鍍金鹅首曲颈文字紋青銅壶・宮廷御用壺】

中国・秦朝・漢朝 

【鍍金鹅首曲颈文字紋青銅壶・宮廷御用壺】

「中国青銅器(酒器)」
当美術館では、たくさんの中国青銅器を展示しており、皆様に是非 青銅器の魅力について触れていただけたらと思います。
殷(商)の青銅器は獣面紋(饕餮(トウテツ)文)と呼ばれる模様と雷紋と呼ばれる模様が主に鋳造されています。殷(商)後期から西周前期には、模様が器の全面を覆い、しかも立体的な高浮き彫り状になっている器物が多く、全体が動物型になった器さえあります。殷周時代の青銅器は、鬼神を祭る道具として使われていました。盤にいれた水で手を清め、象や犀などの実際の動物を象った尊という器で酒を捧げ、鼎には犠牲の牛・羊・豚などの肉を入れてスープなどを煮込みました。それらの青銅器の表面には、羊などの実際の動物の他に饕餮(とうてつ)や龍、鳳など鬼神を守るために生み出された架空の動物の模様を鋳込んであります。周の時代では、さまざまな出来事を甲骨文字をもとにした文字で青銅器に彫り込んでおり、そのような文字が「金文」である。青銅は銅と錫の合金であるが、錫の含有割合は器によってさまざまである。銅、錫以外に鉛を比較的多く含むものと、鉛をほとんど含まないものがある。銅が酸化することで青緑色のサビ「緑青(ロクショウ)」が発生します。緑青は要するに「錆び(さび)」のことです。銅が空気中の硫黄と反応して、色が変化する。当美術館の青銅器は、汚れや緑青などをきれいに洗ってから展示してあります。当時(2,3千年前)の銅の色や質感を見て感じ取ることができるように時間をかけ、酢と塩を用いて磨き上げました。もちろん錆や古さをなくすことによって市場価値の評価は落ちるのですが、当美術館としては2,3千年前の銅の色や彫刻、古漢字を世の中の若者や多くの人々にその美しさを感じて頂ければ幸いです。是非 殷周時代の人々が使用していた美しい青銅器を御覧ください。

◇写真: 中国・秦朝・漢朝 /紀元前306年~紀元26年 (ときんあひるくびきょくけいもじもんせいどうつぼ)【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壶・宮廷御用壺】1枚目:洗浄後、2枚目:洗浄前(日本では弥生時代、およそ2000年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

1 2

アクセス

名古屋東洋官窯陶磁美術館

〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅三丁目26番21号 TOMIビル5階
TEL:052-541-2696

営業時間:9:00~17:00 (入館16:30まで)
休館日:土日祝(但し、貸切・事前予約は開館)
※ 休館日に入館をご希望する方は必ず事前(3日前)にお電話にて
ご予約いただきますようお願いいたします。
※ 特別貸切のご予約がない時に限り予約を受け付けております。


[ アクセス ]
JR名古屋駅より徒歩3分、大名古屋ビルヂング裏。
地下鉄名古屋駅4番出口、「ユニモール」地下街2番出口よりすぐ。

名古屋東洋官窯陶磁美術館 外観

駐車場のご案内

TOMIビルタワーパーキング

一般車 10分 100円 大型車 30分 300円

※ハイエース、アルファード、ハリアー等の規格サイズは場内にて
お預かりが可能ですので、常駐スタッフに御声掛けください。

[ お得な駐車場回数券について ]
1枚30分/300円 10枚 2,700円

[ 駐車場営業時間 ]
平日 8:00~22:00

名古屋東洋官窯陶磁美術館 駐車場