本館収蔵品紹介

【唐三彩小壺】

中国・唐

【唐三彩小壺】

〈紀元後619年~907年〉「唐三彩」王侯貴族の墳墓を華やかに装飾した明器(憤墓の副葬品) 「唐三彩」唐三彩とは盛唐時代に長安や洛陽近傍の窯で焼成された三彩陶器。陶器のなかでも価値が非常に高いとされ、世界に広まっています。唐時代の陶器で、金属を顔料に、酸化の炎色反応を用いて彩色されます。基本的に三色の組み合わせが多いことから、三彩と呼ばれています。鉛や銅、鉄の釉薬を使い、色を表現しており、緑・黄色(茶色)の二色が美しく発色し、土の色の白が合わさった三色、または藍色が加わって四色になった藍彩、クリーム色、紫などを使った色合いが魅力の芸術品です。形状は、人物、動物、器と大きく3つに分かれ、武将や貴婦人、馬やラクダ、壺やお皿などをかたどったものが多く発掘されています。原則としては明器で日常に使用される事は全くなく、主に王侯貴族の墓へ、埋葬するために作られました。最も古いとされているのが、674年唐の初代皇帝の墓から発掘された器です。現在中国では第一級国宝として、発掘されたものは、博物館で大切に保管されています。唐三彩は後の時代の陶磁器に影響を与え、シルクロードを通して、世界中の国々にも影響に与えました。(例えば:日本の奈良三彩)◇写真:中国・唐/紀元後619年~907年【唐三彩小壺・宮廷御用陶磁器】(日本では飛鳥時代~奈良時代、およそ1400年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【海獣葡萄鏡】

中国・陏ー唐

【海獣葡萄鏡】

〈紀元後581年~907年〉「青銅鏡」 古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用された。古代エジプトにおいても用いた事例がある。円形が多く(まれに方鏡もある)、直径は数十㎝程度である。磨かれた鏡面の裏側には中心に鈕(つまみ)があり、その周囲にはさまざまな画像や文様が鋳出されている。祭祀・呪術用の道具として用いられたと考えている。◇写真:中国・陏ー唐 紀元後581年~907年【海獣葡萄鏡・宮廷御用品】(日本では飛鳥時代、およそ1440年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【北宗「官」銘双鱼纹定窯盖盒】(定窯)

中国・宋

【北宗「官」銘双鱼纹定窯盖盒】(定窯)

〈960年〜1279年〉宋代五大名窯 「定窯(ていよう)」定窯は河北省保定市曲陽県に位置する中国の著名な白磁窯であり、宋代には官窯となりました。宋代五大名窯の一つです。なかでも宋代から金代にかけては宮廷用器も数多く生産され、「牙白」と呼ばれる象牙のような白色(アイボリーホワイト)を特色とする優雅な定窯白磁は、皇帝はじめ士大夫などにも広く愛好されました。窯の周辺からは白磁に適した白土がとれました。今日のような純白の発色が可能になったのは、窯で燃やす薪が石炭に変わり、高温で短時間に焼き上げる技法が完成したからです。 白い素地にクリーム色がかった透明釉をかけたものと,型押しや浮彫など彫文を施して透明釉をかけたものとがあります。また金彩を施したものは,金花定窯として特に珍重される。 文様は型を用いる印花文(いんかもん)、ヘラ彫りによる刻花文(こっかもん)、浅く片切彫する劃花文(かっかもん)など種々様々だがいずれも軽快で淡い気品を醸し出している。注目するところはその薄さです。精選された生地で最も薄くできる鉢や椀に限定し、なるべく変形しないよう逆さに伏せて焼きました。その際接地する縁の部分が無釉となるため、銀や銅で覆った。これを覆輪(ふくりん)という。定窯は元の時代まで脈々と続いたが次第に丁寧な作りは姿を消したため、北宋時代の作が最も評価が高いとされます。しかし残念ながら現存数がきわめて少ないです。◇写真:中国・宗 960年〜1279年【北宗「官」銘双鱼纹定窯盖盒】(定窯)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ900年前)

【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)

中国・明

【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)

〈1573年~1620年七月〉皇帝の権威の象徴 「龍」龍とは中国の伝説に出てくる中国人にとって最も神聖な霊獣のことです。殷(「商」とも呼ばれる、BC17世紀~BC1046年)の時代の甲骨文字にはすでに「龍」の文字がありました。流派さまざまな動物を一部分ずつ合体させた形になっています。(トーテムの統合)官窯では皇帝の印である龍と鳳凰の文様が圧倒的に多く使用されました。◇写真:中国・明 【龙凤纹五彩香盒】(万歴官窯)1573年~1620年七月/ 明神宗朱翊钧的年号,明朝使用此年号共48年,为明朝所使用时间最长的年号(日本では安土時代~江戸初期、およそ440年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【二系三足香炉】(哥窑)

中国・宗

【二系三足香炉】(哥窑)

〈960年〜1279年〉「哥窯」哥窯の窯址は未詳である。白に近い色に発色し、器全面に貫入の入った一連の伝世品青磁を「伝世哥窯」と称している。しかし、哥窯の名は宋時代の文献には登場しない。また、「伝世哥窯」と同様の陶片は宋時代の墓や遺跡からは出土しておらず、これらの作品の正確な製作時期や製作地は未詳である。南宋時代,浙江省の竜泉窯に,章生一,章生二という2人の名工がおり,その兄の章生一が焼いた,貫入のある青磁であるといわれる。〈哥〉は兄の意味である。近年竜泉窯址が調査され,製陶の中心だった大窯付近で,南宋官窯(郊壇窯)の青磁に似た貫入のある青磁が焼かれていたことがわかった。しかし哥窯とよばれて伝世している青磁はかなり多様で,南宋官窯との判別も難しく,問題とされている。釉薬に無数のヒビ(貫入)が入っており、二重貫入で知られています。胎土と釉薬の膨張係数、収縮率の違いにより貫入を生じ、胎土の鉄分が浸み出した黒く太い貫入とやや細い貫入があるそうです。この細い貫入が黄色や赤みを帯びたものがあります。稀に金色に見えるものを「金糸鉄線」と呼び、珍重しています。偶然ではなく、意図的に作られたようです。また、胎土に鉄分があるため、釉薬の薄い部分が黒くなる。瓶の口、畳みつきがやや黒くなる。「紫口鉄足」と呼ばれています。追記 では何故こんなヒビだらけの陶磁器ができたかと言うと、こういう話が明時代の文献に残されています。南宋の初期、中国の龍泉県には章一と生二と言う二人の腕の立つ陶工がいました。 二人は実の兄弟でしたが、特に兄の章一の作る青磁の評判は高く、弟の生二はそれに嫉妬を感じていました。「兄の焼く青磁はどうしてあんなに素晴らしいのか?」疑問に思った弟の生二は、まだ完全に焼き終わっていない窯を開けて内部を覗き込みその秘訣を盗もうとします。しかし、窯を開けた事で一気に外気が流れ込み、温度変化に敏感な焼き物は本来焼き上げたかった姿とは全く違うヒビだらけの変わり果てた姿になりました。その失敗作を見つけた兄の章一はそのヒビに深い味わいがある事に気付き、それを再現します。そして兄の窯は更に人気となりました。弟の生二もその後修行を重ねたいそう綺麗な青磁を焼く「龍泉窯」という窯を創設し南宋から明時代にかけて国内国外に流通した膨大な量の青磁を焼いた「中国一の青磁窯」となるのです。◇写真:中国・宗 960年〜1279年【二系三足香炉】(哥窑)「宋時代の五大名窯」汝窯、官窯、哥窯、鈞窯、定窯(日本では平安時代、およそ900年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【红斑纹碗】(钧窯)

モンゴル帝国・金ー元

【红斑纹碗】(钧窯)

〈1206年~1635年〉「鈞窯」中国、宋元時代の名窯。鈞州と呼ばれた河南省禹県を中心に,宋・元時代以降華北各地で焼造された。青みのある失透性白釉のかかった陶器の総称。青い釉薬は、日本では「澱青釉」、中国では「天青(てんせい)」と呼ばれている。釉薬に硅酸(けいさん)分が多く含まれる成分を加えることで白濁させる。さらにその上に、銅を主成分とする釉薬を施して、杯の内外面に紫紅色の斑文を作り出している。これらの釉薬は鈞窯に特徴的な技法である。澱青釉と紫紅斑の織りな定形で抽象的な文様は、まるで天体望遠鏡で覗いた星雲の様に幻想的である。作風によって宋鈞窯,元鈞窯などと区別されることがある。近年,禹県県城内の八卦洞に窯址が発見され,昔から非常に珍重されてきた紅紫釉のかかった上質の鈞窯植木鉢,水盤の類が,そこで製作されたことがわかった。器形には鉢,碗,皿,香炉,壺,瓶,植木鉢などがある。◇写真:モンゴル帝国・金〜元(钧窯)1206年~1635年【红斑纹碗】(日本では鎌倉時代~江戸初期、およそ800年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【窑变釉双耳扁桃瓶】(乾隆官窯)

中国・大清

【窑变釉双耳扁桃瓶】(乾隆官窯)

〈1736年〜1796年〉「大清乾隆年製」女真族出身のヌルハチが1616年に満州で建国し、1644年から1912年までの中国大陸とモンゴルを支配した征服王朝・清(しん)。その期間は268年間で、時期や長さだけで見れば、日本の江戸時代(1603~1868年=265年)に似ている。そんな清の最盛期が、第6代・乾隆帝の時代だ。乾隆帝は12代にわたって続いた清の歴史のなかで60年もの長期政権を布き、生没年も1711~1799年と、数えで89歳の長寿に恵まれた。乾隆帝時代は1736年から1795年までの60年間にも及ぶ長期政権でした。乾隆帝は、清朝の歴代皇帝の中でも、とにかく異様なまでの芸術・骨董好きで特に有名です。清朝時代いや中国史の中で最も華やいだ時代と呼ばれ、各種文化や芸術が究極まで高められました。それまでの中国陶磁器史の全ての分野において、最高の焼き物が焼かれたと言って過言ではないでしょう。白磁、青磁、青花磁、五彩磁、粉彩磁、豆彩磁、とにかくありとあらゆる焼き物が最高の技術をもって焼かれています。そういう陶磁器全盛の乾隆帝期において、更に陶磁器に関して特筆すべき特色がいくつかあります。一つは、乾隆帝のひたむきな古陶磁器収集への情熱です。特に現在、宋代の神品と呼ばれ、故宮博物院などに収蔵されているような陶磁器には、乾隆帝がその権力に任せ収集したものが少なからず含まれています。乾隆帝は、その中でも特に気に入った古陶磁器の裏面などに、自らが作った題詩を掘り込んでいます。数多くの漢詩を作る詩人の素養もあり、中国の伝統的な文学を奨励しました。また、すでに300年前の清時代、当時最大の権力者であった皇帝ですら宋時代の一級陶磁器は収集困難でした。そんな宋磁への憧れから、乾隆帝期には宋の名窯の倣品(完璧にコピーした品)がたくさん製作されており、それはそれで大変高価なものとなっています。政治的にはそれまでの国庫を使い果たした乾隆帝でしたが、陶磁器的には逆に膨大な『財産』を現代に遺してくれたのが乾隆帝でした。乾隆年製とは「大清乾隆年製」と呼ばれ、乾隆帝が在世時に作られた陶磁器の裏に入れられた銘です。乾隆とは、清の第6代皇帝 高宗(弘暦)の在世時の元号で皇帝は元号+帝で呼ばれています。中国(清)の文化や芸術を愛していた乾隆帝は多くのコレクションを残していて、文化や芸術的にも発展を遂げた時代といえます。◇写真:中国・大清(乾隆官窯)1736年〜1796年【窑变釉双耳扁桃瓶】(日本では江戸時代後期、およそ300年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

【オイノコエ】

古代メソポタミア

【オイノコエ】

〈紀元前6世紀末~5世紀初期〉核の表面にガラスをかたどり制作された。この技法はメソポタミアで発見された。紀元前6世紀末から5世紀初期の間に制作。その後、地中海全域に普及しました。この壺を制作するために、砂を混合した粘土に、藁、草葉、穀粒などの有機物を追加した核を作る。そして鉄製の竿にこの核を固定した後、紺色の融解し、細長く伸ばされたガラスを巻き付け作られた。香油壺や酒杯に用いられたと言われ、各国の王侯貴族に広まりました。◇写真:古代メソポタミア/紀元前6世紀末~5世紀初期【オイノコエ】(日本では縄文時代、およそ3000年前)

【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺 】

中国・秦・漢 

【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺 】

〈紀元前306年~紀元26年〉「中国青銅器(酒器)」当美術館では、たくさんの中国青銅器を展示しており、皆様に是非 青銅器の魅力について触れていただけたらと思います。 殷(商)の青銅器は獣面紋(饕餮(トウテツ)文)と呼ばれる模様と雷紋と呼ばれる模様が主に鋳造されています。殷(商)後期から西周前期には、模様が器の全面を覆い、しかも立体的な高浮き彫り状になっている器物が多く、全体が動物型になった器さえあります。殷周時代の青銅器は、鬼神を祭る道具として使われていました。盤にいれた水で手を清め、象や犀などの実際の動物を象った尊という器で酒を捧げ、鼎には犠牲の牛・羊・豚などの肉を入れてスープなどを煮込みました。それらの青銅器の表面には、羊などの実際の動物の他に饕餮(とうてつ)や龍、鳳など鬼神を守るために生み出された架空の動物の模様を鋳込んであります。周の時代では、さまざまな出来事を甲骨文字をもとにした文字で青銅器に彫り込んでおり、そのような文字が「金文」である。青銅は銅と錫の合金であるが、錫の含有割合は器によってさまざまである。銅、錫以外に鉛を比較的多く含むものと、鉛をほとんど含まないものがある。銅が酸化することで青緑色のサビ「緑青(ロクショウ)」が発生します。緑青は要するに「錆び(さび)」のことです。銅が空気中の硫黄と反応して、色が変化する。当美術館の青銅器は、汚れや緑青などをきれいに洗ってから展示してあります。当時(2,3千年前)の銅の色や質感を見て感じ取ることができるように時間をかけ、酢と塩を用いて磨き上げました。もちろん錆や古さをなくすことによって市場価値の評価は落ちるのですが、当美術館としては2,3千年前の銅の色や彫刻、古漢字を世の中の若者や多くの人々にその美しさを感じて頂ければ幸いです。是非 殷周時代の人々が使用していた美しい青銅器を御覧ください。◇写真: 中国・秦・漢 /紀元前306年~紀元26年【鍍金鹅首曲頸文字紋青銅壺 ・宮廷御用品】1枚目:洗浄後、2枚目:洗浄前(日本では弥生時代、およそ2000年前)※詳細写真は写真をクリックすると見れます※

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アクセス

名古屋東洋官窯陶磁美術館

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TEL:052-541-2696

営業時間:9:00~17:00 (入館16:30まで)
休館日:土日祝(但し、貸切は開館)

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名古屋東洋官窯陶磁美術館 外観

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